動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

by AlphaWolfy
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 今日も今日とて、お狂です。

 今年はぶんちゃんの誕生日である七月二十九日にブログを始めました。いろいろ動物愛護の世界でも事件がありましたし、自分の家にもいろいろ事件がありました。

 そういう中で、皆様がたと共に歩んできた、という実感がございます。一人で悶々ではなく、「どうしたらいいのかわからない。でも、ブログ仲間がいるのだから、意気消沈はしないぞ。あきらめない!」と思うことができる幸いを、皆様がたに感謝いたします。

 コメントを残してくださった方々、残してはくださらなかったけれども、お読みくださった方々、偉そうなことばかり言っているわりには、行動力のないお狂とともに、タイムラグはありますが、過ごしてくださりありがとうございました。

 私の意見に反対意見をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。きついコメントを残したかった、苦言を呈したかった、けれども、私のために思い留まってくださった方もいらっしゃったでしょう。それぞれの思いを私が推し量ることもできません。しかし、反対の方々の声を聞いていくことができないと、動物愛護の世界は進展していかないでしょう。来年はどうぞお聞かせください。

 いつも申しております、私の願いは、言葉をもたない命が命としての尊厳を守られるということです。動物も高齢者も乳幼児も障害者もです。そして、最終的には、環境問題まで発展していかなければ、願いが実現したことにはならないと思っております。

 どうぞ、お力をお貸しください。お知恵をお貸しください。今だけの社会ではなく、今だけの地球ではなく、未来に向けて、憎んだり、汚したり、傷つけたりする社会ではなく、慈しんで生きていける社会にしていくために。

 ぼやいているだけかもしれない。今は、悩んでいるだけかもしれない。しかし、そういう時を経て、変わっていく時が来ると信じています。

 皆様とお近づきになれて本当に嬉しい喜びを感じた一年でした。お一人お一人に、お会いしてご挨拶はできませんが、皆様、よいお年をお迎えください。

 平安がいつかすべての命の上に。

                     2006年12月31日  

                        お狂 拝
  
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2006.12.31(Sun)22:08 |  日記  | コメント : 6 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 ダイナ君、今日午後退院しました。皆様の激励に深くお礼申し上げます。
 
 正直、毎晩病院から帰宅して、パソコン立ち上げて、ブログ書くのは体力的にはちょっとつらかったですが、ちょっとですんだのは、疲れたという気持ちより、ブログにかかれている「ダイナ君、頑張って」という皆様のお言葉に励まされている、その励ましの方がずっと大きかったからです。先だって、ダイナ君が入院していたときにも、皆様からの励ましをいただき、「自己満足ブログ」の意味は何であろうかと思っていましたが、人の優しさに触れる。これですね。自分が発信することではなく、実は受けることの方がずっと多いのです。

 人間、弱いものです。私がクリスチャンになったのも弱い自分に気がついたからです。だいたい、人間、順風満帆のときには「この世は私中心に回ってる」と思いますよ。こわいものなし! しかし、自分の力でどうにもならないこと、これにぶつかったときに、どうするか。基本的にはクリスチャンですから、「神様、私にはどうすることもできません。あとはよろしくお願いします」と言うのみです。そういうときに、神様は皆様がたを私のブログに送ってくださって、慰めてくださいます。神様は「私はあなたを一人にしないと言った。でもあなたに私は見えなくて、あなたは弱くて私を信じきるだけではいられないだろうから、あなたを慰めてくれる人たちを送りましたよ」とおっしゃいます。

 そういうわけで、いろいろあるけど、皆様がたにどのくらい励まされているか。ありがとうございます。

 それで、今日の弥七ちゃんです。いつものように、朝一番で病院に行ったのですが、おなかをこわしていることもあって、三日分の便をもっていったのです。そしたら、二種類の虫がいると。一つは猫回虫。もう一つはちょっとやっかいなコクシジウムと言われました。だいたい、私、素人。コクシジウムがやっかいかどうか、そんなことはわかりません。こちら、言われたとおりにお薬を飲ませるだけ。

 こういうことは、お気楽に考えることにしております。

 今日は、最初弥七ちゃんを診てくれた男性の先生だったのですが、「明日から三日まで病院はお休みになりますから、念のためレントゲンを撮っておきましょう」きたー!!一枚○千円。「はい、お願いします」といいつつ、今日の診療費はかなりくるぞ、と思いました。でも、先生が良心的な方だったので、一枚に四方向で撮ってくださったので、本当に助かりました。商売熱心な方だったら、こうはいかないよ。骨も折れてなくてよかった。

 弥七ちゃん、お鼻が出なくなったので、ネブライザーはやめて、蚤駆除のフロントラインスプレーをしてもらいました。目薬も入れてもらい、脚の腫れ止めのお注射をして、結構お疲れ。

 待合室では昨日のパグちゃんとは違うパグちゃん。こちらは大きいです。12キロだって。ちょっとお話ししました、飼い主さんと。ぶんちゃん曰く、「飼い主って、飼ってる犬に似るね」それは失礼では。あ、上品そうなおばさまでしたけど。

 そこにダイナ君からお電話。「退院できるよ」とりあえず、ぶんちゃんをダイナ君のいる病院におろし、出直してくることに。弥七ちゃんのケージや格之進が乗っていますから。

 ダイナ君、帰宅して早速パソコンでメールのチェック。ないと言っていたノートを探し、ぶんちゃんと一緒に茶の間で宿題の残りを始めました。入院も何回もなってくると、退院できたといって浮かれることがありません。いつもの通りのことをいつものように行なうことになっています。

 弥七ちゃんに虫下しの液体のお薬を飲ませました。ところが、初めてみました。首を振って吐き出すのです。唇は泡状態に。困ったねえ、こりゃ。虫をやっつけないと。ちょっと多めに飲ませてみましたが、どこまで体の中に入っているのでしょうか? どなたか、液体虫下しを上手に飲ませる方法をお教えください。

 弥七ちゃん、結構馴れてきました。一人にしておくと、鳴くようになりました。ケージから出すときは、ひとしきり威嚇しますけど、抱くと、ぴたっと体にくっついて気持ちよさそうにしています。もう一息だね。

 ダイナ君は退院したけれど、弥七ちゃんは足の治療とおなかの治療、人になれるための精神的なケアがこれから必要になっています。お狂、ぶんちゃん、ともども退院したダイナ君も頑張ってまいります。さらなる、皆様がたの励ましをよろしくお願いいたします。

  弥七ちゃんの里親さんになりたい方は鍵コメか、
 okyodesu@hotmail.co.jp  まで
2006.12.30(Sat)22:08 |  日記  | コメント : 14 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 朝起きたら、ぶんちゃんをたたき起こし、四本足の家族に朝ごはんを出し、人間が食事をし、ゴミだしをしたら、弥七ちゃんをケージにいれ、格之進を抱いて、まず動物病院へ。

 弥七ちゃんの診察が終わったら、ダイナ君の入院している病院でぶんちゃんを降ろし、格之進と弥七ちゃんを連れて家へ。お洗濯、食器洗いなどをしつつ、昼すぎたら、ぶんちゃんをお迎えに行き、夜にもう一度、ダイナ君の病院に私が行く。とまあ、病院しか行っていないお狂の近況でした。

 こんなの読んでもおもしろくないわい。

 が、気を取り直し、今日はもう突貫作業で年賀状を作りました。県外の方々には元旦に届かないかも。まだこれから宛名書き印刷に入りますが。

 動物病院の帰りにダイナ君の主治医の先生とお電話でお話。検査値を聞いて、先生が「う~ん、、」と言われたので、先生も困ってるなと思い、「では先生、今日はもう退院はないということで。また明日の値を見て、決めたらいいですね」「そうですね」先生、ほっとした感じ。教授は値が落ち着くまで留めておけ、気持ちとしては誰もが年末に病院にいたくない、と思っているのが主治医もわかっていますから、早く帰してあげたいんですよね。板ばさみ。

 でも、世帯主はまだ咳をしているし、休みですから、まあダイナ君には気の毒かもしれないけど、半分こちらも自棄ですね。
 
 弥七ちゃん、昨夜からおなかをこわしています。病院で「先生、昨日の抗生物質のせいですかね?」「そうですねえ。でも足の腫れがひいてないから、今日も打っておかないとね。点滴して、下痢止めも入れておきましょうね」

 その後、ネブライザーするというので、待合で待っていました。ぶんちゃんのとなりにパグちゃんが。遅れて出てきた私はぶんちゃんとパグちゃんの間に座りました。パグちゃんがこちらを向いていたので、「かわいいねえ」と頭を撫で撫で。本当は飼い主の方に許可を得ないといけないのですが、なんかもうすぐそばだったものですから。

 お鼻が出ています。「あれ、風邪なの?」とティッシュを出して拭いてあげました。そしたら飼い主さんが、「よその方に鼻をふいてもらうなんて初めてです」お年を召された女性の方でした。かわいい服を着ています、あ、パグちゃんね。首輪はしてなくて、ネックレスをしてます。黒い革紐に立方体のアルファベットで、HIMAWARIと一個一個通してあります。つまりは八個の立方体。

 「ひまわりちゃん、ひまわりちゃん」と撫でていたら、「抱いてみますか?」わーい、初めてパグちゃんを抱いてなんか嬉しかったです。

 ダイナ君にそのお話をしたら、「写真は?」「撮ってない」「えー!!見たかったよ。やっぱり犬はフレブルかパグだよね」

 この辺りは好みがあるでしょうが、私はブルドッグみたいな犬が好きなので、ダイナ君と趣味は同じ。ぶんちゃんはポメちゃんが好きです。それでも今日、隣でひまわりちゃんを見て「かわいい」を連発していました。

 ところで、弥七ちゃん。珍しく鳴いていたので、ケージから出して、ぶんちゃんが抱いていました。出るときに威嚇するけど、抱いていたらおとなしくしています。足は腫れていますけど、お鼻はとまりました。あとは目やにかなあ。

 あまり目つきがよくないけど写真を撮りました。
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このピンクのタオルは何かといいますと、子供用のタオルキャップなのですね。古いタオルを募集したら、これもくれた方がいて、タオルでないからどうしようと思いつつも、かわいかったから、何かにうちで使おうととっておいたのです。弥七ちゃんの目薬を入れるのに、手足を出なくしておくのにちょうどよかった。
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 抱いてるぶんちゃんがおかあさんみたいです。早く足の腫れがひいて、目やにがおさまるといいね。

弥七さんの里親さんになりたい方は鍵コメか、
 okyodesu@hotmail.co.jp  まで
2006.12.29(Fri)23:58 |  日記  | コメント : 4 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 このところの記事タイトルを見ておりますと、自分でも知らず知らずに年末を気合で乗り切ろうとしているのが感じられます。

 昨夜、塾に行く許可を得て、病院から外出させてもらったダイナ君。塾に行く前に家に帰りました。弥七を見て、「ちび年ちゃんだね」と言っていました。

 本当に年子がうちに来たとき。夏でしたけど、まあ汚い猫でしたわ。弥七と同じ二ヶ月くらいでうちにきましたね。蚤がごそごそいて、耳ダニはいるし、目やにで目が開かない。寄生虫も二種類。蚤採りブラシで毛をといてやると、まあ出るわ、出るわ。ぶんちゃん、本当に汚い猫を拾ってきたなと思っておりましたら、今ではうちで一番の美人さんになっています(うちにいるのは、他には町子。それとお狂とぶんちゃん?)。

 黒猫は本当に写真を撮るのが難しいですね。

 さて、今日からぶんちゃんはお休みなので、格之進と弥七をつれ、動物病院へ。四人いる先生はその日によって当たりがかわりますので、昨日の男性の先生ではなく、女性の先生となりました。「あららまた」といいつつ、診てくださったのですが、熱が高いので抗生物質を注射しましょうとのこと。エリザベスカラーをつけ、威嚇する弥七ちゃんですが、昨日に比べるとなんかおとなしくなった雰囲気。

 「あれ、弥七ちゃん、右前足が腫れてる」気がつきませんでした。「誰かに咬まれたのかもしれない。かさぶたになっていますね」「そういえば、額もはげてるところが。熱って、先生、咬まれたから?」「咬まれて数日して腫れてきますからね。骨折ではなさそう」

 昨夜、帰ってから、お鼻がたらたら。目やにも相変わらず。今日は先生が目薬を入れてくれました。うちでも入れてみよう。できるかな?

 昨日は春のような天気でした。暖かい日でしたが、今日は雪こそ降らなかったものの、風は強いし、寒くて震えそうです。弥七ちゃん、元気ない。じっとしてます。お熱があるからかな。ぶんちゃんは動物病院の帰りに、一人ダイナ君の病院に行って、二人でお勉強(したかどうかはわかりませんが)。夕方、ぶんちゃんをお迎えにいくときに、弥七ちゃんの湯たんぽを買ってきました。入れてあげると、やっぱり寒かったんだね。湯たんぽの上にずっといます。

 ぶんちゃん、調子に乗って、抱いていたのですが、床におろすと、逃げ始め、キャットタワーの一番したの穴倉に入りこんでしまいました。出そうとしたぶんちゃん、手をかまれてしまったようです。

 痛いと言っていますが、それでも弥七ちゃんを心良く思わないこともなく、「早くならせてあげないとね」と言っています。

 夕食後、再びダイナ君の病院に行こうとすると、ぶんちゃんが「私も行く」こいつは本当に勉強せんやっちゃ。あまりの寒さからでしょうか、珍しく格之進は世帯主のうたたねお布団の中に入っています。よしよし。

 弥七ちゃん、保護したのが昨日でよかった。熱も出てたから、今日の寒さの中、外にいたら、どうなっていたことか。早く元気になるんだよ。明日もネブライザーに行くよ。

 あ、弥七ちゃん、蚤がいました。昨日はネブライザーでぬれた体を拭いても黒いだけだったけど、今日はタオルに蚤の排泄物が。ネブライザーの治療が終わってから、蚤の駆除に入るそうです。

 弥七ちゃんの里親になりたい方は、鍵コメか、
 okyodesu@hotomail.co.jpまで。
2006.12.28(Thu)23:23 |  日記  | コメント : 6 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 疲れました。なぜかというと、ダイナ君が夕方退院できると昨日聞いていたので、そのつもりでいたら、検査値が悪くて、教授が「もうちょっと泊まっていけ」と。それも、ぎりぎりになって言われたもので。

 今日でぶんちゃんは学校が終わり。はは、私は明日で終わりだと思っておりましたね。で、ぶんちゃん、終業式の後に残って勉強してくる、というので、ぶんちゃんが帰宅したら、格之進をみてもらって、ダイナ君が退院するので手続きに行こうとしていたのです。午前中は、私の母が病院に顔を出してくれることになっておりました。

 あまり汚いのもいやだからと、ダイナ君の退院に備えてお掃除しておりました。玄関を掃き出しておりましたら、車のそばに何やらちらっと。黒猫です。

 見たことないよ、あんな仔猫。どこにいたんだよ。このあたり、今ではワット君しかうろうろしてないもん。いー!?暮も押し迫って、それって、、、。

 とりあえず、煮干を持ってきて、「はい、どうぞ」よってきません。いつものケージを持ってきて、煮干をケージの中に入れます。「食べていいからね」そ知らぬふりで、玄関のお掃除を続けるお狂であった。

 そこへなぜかぶんちゃんが自転車で帰宅。「ただいま~!!」「しー」「?」こそっと自転車を止めるぶんちゃん。こちらもこそこそとケージの中に煮干を食べに入る仔猫。

 がちゃん!と閉めたのはぶんちゃんです。

 よっしゃ、動物病院へ出発。どうせ、格之進の月の一度のフロントラインと爪きりの日。ワット君のリボリューションももらってくるしね。

 動物病院とダイナ君の入院している病院は近くにあるので、まずダイナ君のところに行き、退院手続きをしました。支払いをすませ、ダイナ君にかくがくしかじか。「今点滴してるから、六時くらいに終わるって。入りが悪いんだよ。本当は五時に帰る予定だったから、晩御飯が出ないんだ」「じゃあ、何か買ってきてあげるね。とりあえずネコさんを連れていってくるわ」

 格之進は例によって、「ぼく、ここにいません」という表情のまま、診察室で肉球に汗をかいています。続いて、牡か雌かわからない仔猫。牡なら、弥七。雌なら何にしよう。車の中でいろいろ考えていたぶんちゃん。沢子ということになりましたが、先生がみてくれたら、牡ということ。

 弥七は今まで「にゃあ」とも鳴きません。「この子、病気ですか?」「いえ、緊張してるのでしょうね」人に全くなれてなくて、しきりと威嚇しています。エリザベスカラーをつけて、爪きりしてもらいます。「耳ダニもいないし、蚤もいませんね。便は三日採取してもらわないといけないけど、体温計についているのを調べた限りでは、虫もいないみたいですけどね」

 ですが、弥七は風邪をひいているようです。「この子、飼うんですか?」「いえ、里子に出します」「では、風邪の治療はどうしますか?」「やってください。元気な状態でないと、里親さんを探せません」「この月齢ではお薬は投与したくないので、ネブライザーをしてみましょうか」「二ヶ月くらいですか?」「そうですね」「耳ダニもいなくて、蚤もいないのに、人なれしてないんですね」「そうですね。全くの野良猫だと思いますけどね。でもきれいなネコですよね。ちょっと馴らせるのに、大変かもしれませんね」

 息をひそめたみたいに、帰りの車の中でもじっとしています。「いるのかいないのか、わからない子だね」「だって、弥七だからね。天井裏に潜んでいないといけないし」

 ご存知ですね、ぶんちゃんが牡には水戸黄門のキャラクターを命名していることは。威嚇して、全然かわいくない仔猫ですが、さすがにぶんちゃんです。帰ってくると、抱いています。どうして抱いたのでしょうか。じっとしています。

 それでも、ケージに入れようとしたら、逃げ出して、威嚇して爪を出しています。ぶんちゃんはひっかかれてしまいました。鼻たれですけど、治ればかわいくなると思います。年子がうちに来たときと同じような顔をしていますから。
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 暮も押し迫って何ですが、弥七の里親さんを募集しています。きちんと風邪を治してお連れします。撮れないだろうと思っていましたが、ぶんちゃんが抱くことができたので、写真も撮れました。
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 診察が終わって、一度家に帰って格之進と弥七を置いてから、ダイナ君のお迎えに行こうと思っていたら、車の中にお電話が。ぶんちゃんが電話をとって、「ダイナの主治医の先生からだよ」「運転しているから、後からこちらからかけるってお伝えして。急ぎなら、車を止めてお電話するけど」

 ダイナ君からメイルが。「今日、退院できないって」

 何だよ、それ。家についたら、すぐ先生にお電話。「検査の値が悪いので、教授がよくなるまでいてくださいということです」「今晩、塾があるんですけど、無理ですかね」「外出はいいですよ」

 八時前にダイナ君を迎えに行き、塾まで連れて行き、終わってから、また病院へ連れていきました。疲れましたわ。まあ、でもダイナ君、学校のあるときでなくてよかったねと。明日は、休みに入ったぶんちゃんが朝から病院に言って、二人でお勉強するようです。お勉強するのか、お昼ねするのかわかったもんじゃないけどね。

弥七さんの里親さんになりたい方は鍵コメか、
 okyodesu@hotmail.co.jp  まで
2006.12.27(Wed)23:59 |  日記  | コメント : 9 | トラックバック : 0
今日も今日もとて、お狂です。

 昨日、ダイナ君は入院したのですが、珍しく六人部屋でした。片側三つのベッドがあります。ダイナ君のベッドは真ん中で、困ったねと言い合いました。というのも、窓際のベッドだと空調の機械の上と窓ガラスの桟のところに物が置けるのです。入り口のベッドだと、ロッカーの上に物が置けるのです。真ん中にはどこにも置く場所がありません。

 ダイナ君と一緒に物を片付けていたところへ、朝一番の手術が終わって、隣のベッドの患者さんが帰ってきました。もう麻酔が覚めていて、泣きっぱなしです。私は子供が大嫌いで、「ちょっとは我慢せんか! 泣いて痛いのが痛くなくなるわけじゃないだろ!!」と言いたいところでしたが、私の胸中を察したダイナ君が「まあまあ、おかあさん。子供なんだから」その後、私は一度帰宅。夕方またやってきました。

 ダイナ君が苦笑しつつ、小声で話してくれます。「となりの子、すごいんだよ」「何が?」「おかあさんに言うことが」「何て言ってるの?」「さっさと売店行って、おもちゃ買ってこい、ばばあ!ぶす!」「うちだったら、ぼこぼこにされるな」「されるな」

 うちの子供がそんなこと言ったなら、唇を引っ張って、「どの口がそんなこと言うの!もう一回言ってみなさい!」と私は言いますよ。それでもう一回いったなら、ひっぱたいてやります。ぶんちゃんなど、小学生の頃、私にたてついて、玄関に放りだされましたわ。

 ダイナ君も現在、結構毒づくんですが、私は必ず言ってやります。「毎日、送り迎えしなくていいんだね」お世話になってくるくせに、偉そうに言うんじゃないよ。どうしても理不尽だと思うなら、それ相応の言い方をしなさいよ。

 中学生になった頃には、言ってやりましたね。頭のてっぺんから足の先まで、皆親のお金で買ったものを身につけておいて、何を偉そうに言ってるんだ。だいたい、お金を出せば、口を出す。それが世の中の常なんだと。自活できるようになってから、偉そうにいいなさい。自分で働いて何も親の世話にならなくていいようになってから、対等に話ししなさい。

 それを考えますと、広島ドッグパーク。支援金を出した方々はおとなしいですよね。医療費と言われて出したのに、そのためではないのに、黙ってみているんですから。小口であろうが、大口であろうが、関係ないですよね。善意で送って、犬さんのために使ってもらおうとしたのに。貰うだけ貰ったら、あとは知りませんという態度がまかり通るってなんかおかしいですよね。

 さて、ワット君。玄関前に置いたダンボールの箱の中に夕方から宵の口、ずっといます。湯たんぽを入れているので、あったかいのでしょう。これからも入れておくから、あったまっていなさいね。ますます太った感じがするのだけどねえ。
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2006.12.26(Tue)00:03 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 や~、ダイナ君、検査入院して忙しいお狂です。ぶんちゃんがまだ学校があるおかげで、格之進を実家に預けたりしていたら、例によって、格之進、玄関で座り込み。置いていけないのも困りますよね。

 さて、昨日の続きですね。

 ユダヤ人が待ち望んでいた救世主が生まれたはいいのですが、その生まれ方にいろいろと問題がありましたせいで、あっさりと救世主とは認めてもらえないのですね。

 イエス様の親戚にヨハネという人がいて、イエス様より少しだけ年上なのですが、彼はその頃、人々の信頼を得て、叫んでおりました。「もうすぐ救い主がくる」この人は声も大きいみたいですし、禁欲的な生活をしてまあ修行状態にあった人だったこともあって、民衆の人気を得るのですね。しかも宗教関係者に「偉そうにするな! おまえらは本当に神のことを考えててるのか!」みたいなことを言って詰め寄るわけですよ。いつの時代でも反体制の人間は、過激ですが、それを聞いて民衆は喜んでいるのですね。

 そのヨハネが認めたイエス様ですが、 ヨハネはイエス様が神様の教えを説き始めた直後に処刑されています。ご存知でしょうか?サロメの物語。サロメの一言で殺されるのはヨハネなのですね。

 イエス様は神の子ですから、いろんな奇跡もお見せになったし、数個しかないパンを多くの群衆に分け与える(つまり量が増えた)こともおできになる方でした。水をワインにかえたりしましたね。

 それで民衆は、「これは我らの救い主に違いない」と思うわけです。奇跡の業を見せてくれる。第一食いっぱぐれないわ、と思ったわけですね。そして、何よりこういう奇跡が行なえるのなら、ローマを滅ぼしてイスラエルの国を再び再建してくれるに違いないと思ったのです。

 ところが、です。イエス様はそんな気がないのです。イスラエルの国を再建するためにきたのではなく、罪人を救いに遣わされたのですから。イスラエル人には選民思想がありますから、我々が世界を治めるのだと思っています。しかし、神様は確かにイスラエルの民を愛されていたけれども、世界中の人もまた愛されていた。世界中の人のための救い主をご用意されたわけですよ。

 ですから、イエス様は「右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出せ」とか言われていますが、鼻から戦争する気持ちがない。むしろ、相手にぶたれたら殴り返すから問題がおきると。許してあげたらどうよ、というわけです。旧約聖書の中には、「目には目を。歯には歯を」というハムラビ法典と同じ文句が出てきます。やり返したらいいんだ、許されているんだもん、という考えだったのですが、「もっと相手も愛してあげなさいよ」というのがイエス様のお考えなんですね。

 となると、イスラエルはいつまでたってもローマの属国のまま。「あんな人、救世主ではないわい」となってしまったわけですが、それでは世界中の人々にとって救世主であるとはどういうことでしょう?

 キリスト教の根本は性悪説なんですね。最初の人アダムが神様との関係をこわしたので、人と神様との関係は最悪の状態で人は生まれてくるわけです。神様は間違いのない方ですし、罪がある人を許される人ではないのです。罪の中にいると、人間、死んだら地獄ですわ。神様のいる天国には帰ってこれない。生まれながらに罪をもって生まれてきているのですから、どうしたらその罪をないものにできるか。

 これがイエス様の存在を信じるということなのですね。人は神様と父子のような関係である、それを認めて、神様のもとに帰ってきなさい。帰ってくるためには、イエス様に罪をかぶってもらったら、罪のない人として天国に帰ってこれますよ。で、イエス様に罪をかぶっていただくために、「私はイエス様におすがりします。どうかこの罪をかぶってください」といえばいいだけなのです。

 ですから、基本的にキリスト教には修行などないですね。善行を罪が帳消しにされることもない。ただ、「今まで神様など知らずにいたけど、父親としてすがっていきます。おとうさんと呼ぶために、イエス様、どうか私の罪をかぶってください。そして、仲介してください。」とお願いするだけなのです。

 ですから、あなたが殺人を犯した人であったとしても、友人をいじめた人であっても、親不孝な人であったとしても、子供を虐待した人であったとしても、「ごめんなさい。イエス様、この罪をかぶってください。神様との間をとりもってください。」とお願いすればいいのです。ただ、悔い改めと行って、もう二度と悪いことはしないように心がけないといけません。人間、生きていけば悪いことをします。悪いことを考えます。口には出さないけど。

 そういう汚れた者を救って、「神様、この人を天国にいれてあげてください」とお願いしてくださる方がイエス様、というわけです。

 ただですね。イエス様を信じて、「すいませんでした、今まで悪い人間だったけど、許してください」と心から言えるかどうか。「まあ、頭ではわかるんだけどさあ、罪を犯してきましたって言えばいいんだろうけど、皆やってるし~。自分だけじゃないし~」と自分が罪人であったと認められないと、イエス様を信じたことにならないわけです。

 まあ、長くなりました。つまりは罪のある人間を罪から救ってくれる方が生まれた日、ということで、クリスマスは教会でお祝いするわけですね。

 いろいろ疑問はあります。おそらく、私に尋ねられても答えられないだろうと思います。私にもわからないことがあります。私はプロテスタントのクリスチャンですが、子供がカトリックの幼稚園に行っていたので、シスターにこういわれたことがありました。

 神様がわかれば、それは宗教ではありません。科学です。

 頭ですべて理解はできません。「信じる」ということは、つまりはきちんと証明できた結果を見て受け入れるということではなく、「なんかわけはわからないけど、信じます」そういうことです。人が人を愛するのに、いろいろと理由はつけられますが、「きれいだから」愛するのであれば、おそらくまだまだきれいな人はいるでしょう。「やさしいから」であれば、もっともっとやさしい人がいるでしょう。でも、愛するということは、その人でないとだめなんです。

 イエス様は、ぐーたらでぼけぼけしている私を愛してくださってます。私が愛されるわけのない人間であることは、自分でわかっています。そういう思いがクリスマスになると、あらためて湧き上ってきます。信じることも愛することも、げに不可思議なことでございます。

 今日、ダイナ君が入院した病棟には、昨年と違うクリスマスツリーが飾られていました。
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 明日には片付けられるのでしょうか? でもイエス様の愛情は明日も明後日も、世界中に降り注ぎ続けます。
2006.12.25(Mon)23:17 |  日記  | コメント : 6 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 きょうの礼拝はクリスマスの礼拝でした。すいません、昨夜の礼拝はキャンドル礼拝というのですね。クリスマス礼拝というのは、クリスマスまでの一番近い日曜日にあたる礼拝のことをいいまして、大抵どこの教会でもお祝いをいたします。25日が日曜にあたれば、その日がクリスマス礼拝となり、それより後のことはありません。もっとも、聖書のどこにもこの日にイエス様がお生まれになったなどという記載はないのですけどね。

 今日はクリスマスなので、クリスチャンにとって、クリスマスというのがどういう日かと説明してみます。有識者の方、足らないところをお助け乞う!

 イエスさまというのは、ユダヤ人ですね。ユダヤの歴史を遡る数千年前。いえいえ、それよりもっと遡ってみましょう。前にお知らせしました人間の最初はアダムです。ここから何人もの子供、孫でて、人間が増えていったのですね。ノアの箱舟のノアさんはアダムの子孫ですよ。その子孫にアブラハムという人がいます。アメリカのリンカーンのお名前、アブラハム・リンカーンというのは、この人からきております。リンカーン大統領はクリスチャンの鏡みたいなところがありますね。何度も選挙に落選しながらも、ついに大統領になってしまったのですから。

 で、アブラハムという方ですね、この方はユダヤ人の先祖ですが(既に人間はバベルの塔の出来事のときに世界に散ってしまっているのですね。ご存知ですかな? バベルの塔を建てるまで、人間は皆同じ言語を話したことになっています。神様の怒りをかって、人間はばらばらの地でばらばらの言葉をもつようになったのですね)、「信仰の父」と呼ばれております。神様から信頼を得た方なのですね。なぜかといいますと、長くなりますが。

 アブラハムは神様が今のイスラエルの地に出ていきなさいと命じられたので、素直にそれに従って奥さんを連れて放浪の旅に出たわけですわ。アブラハムは結構せこいところもありましてね、エジプトに行ったときなど、奥さんが美人なものですから、美人の奥さんのために自分が殺されたら困ると思い(奥さんを奪うのに邪魔ですからね)、「兄妹ということにしてくれ」などと言っているのですね。神様はそれでも、アブラハムを祝福してくださると約束してくださっていたので、いろんな場所を通りつつも、使用人は増えるは、財産は増えるは、裕福になっていくのです。

 ところが、アブラハムには子供がいない。神様はアブラハムに多くの子孫を与えるとお約束してくださったのに、いつまでたっても子供ができない。奥さんは言いました。「私の召使の女性との間に子供を作ってください」この女性との間にできたのが、イシュマエルという男の子でこの子は後に、アラブ人の祖先となります。イスラム教の先祖ですね。ですから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ先祖から生まれて、同じ一人の神様を信仰しているわけです。なのに、戦争しているのはなぜに? これにもわけがあります。

 それはさておき、アブラハムの愛人ですね。召使でありましたが、跡取りを生んでしまったので、態度がでかくなった。それに奥さんは怒るんですね。そういうこうしている間に、奥さんとの間に奇跡的にできた息子がイサクですね。奥さんはもちろんアブラハムも、心おきなくイシュマエルと召使の愛人の二人を追放してしまう。二人はアラブの地で生き延びるのです。そして、アブラハムにはずんずんと子孫が増えていくわけです。

 イサクがまだ小さかったとき、神様はアブラハムに「イサクを私に捧げよ」と言うのです。捧げるとはいけにえですよ。その当時には動物を殺していけにえとして捧げるということがあったのですね。アブラハムの葛藤というは、全く聖書に書かれていません。聖書には心理描写が全くない。泣いたとか怒ったとかは書いてありますけどね。

 で、アブラハムはイサクを自分の手で殺そうとするわけです。それで神様に一番大切な物を捧げようとしたということで、「信仰の父」と言われておるわけですね。神様はアブラハムがイサクを殺そうとする瞬間にお止めになって、イサクは一命をとりとめるわけです。

 ひどい話ですよね。父子だけの話としてみればね。この辺りの感情をクリスチャンとして解説することはできますが、これは信仰のない方にはご理解いただけないと思います。先に進みましょう。

 イサクの子供にヤコブという子供がいました。こいつはずる賢いんですわ。またいつかお話するとして、このヤコブに十二人の息子がおりました。イスラエルには部族があるのですが、十二部族の名前はこの息子たちの名前がついているのです(正確にはちょっと違うのだが)。

 その中にユダ族という部族がおりました。イエス様というのはユダ族の家系で、救い主はユダ族から生まれるという預言があったのですね。

 なにが どうして救い主なのか。イスラエルの人々は神様とお話しするような民でしたから、王様がいなかったのです。人が国を治めるのではなく、神がおさめる。だから、預言者とか祭司とか宗教学者とかいう人に権力があったのです。しかし、近隣の国が王政をしいているため、「自分たちにも王様がほしい」と望んだのです。で、神様はダビデという青年を王様にしました。彼は非常に信望のある、神様と良くお話しされる王様だったのですが、彼の子孫はイスラエルの国を二つに分裂させてしまい、王権争いをしている間によその国に滅ぼされてしまうわけです。

 しかし、いつか救い主がやってきて、自分たちの国を再建してくれると思っていたのですね。そう預言されていましたから。それから時は流れ、イスラエルはローマの属国にされていた頃、イエス様がお生まれになりました。

 イエス様はそこそこ民衆の気持ちをつかんでいましたが、イスラエルの国民が期待するような救世主ではなかったのです。

 ここから先は長くなりましたので、明日に続きます。

 で、動物の話が全くないのも何ですので、最近の格之進の様子などを。格之進はいつも私と同じお布団に寝ているのですが、最近、茶の間の自分専用のピンクベッドで熟睡することがあるようです。ピンクベッドというのは大きさがちょうどいいべッドの色がピンクだったからそう呼んでいるのですが。

 夜中、風邪の世帯主と別々に寝ているダイナ君が茶の間に寝ています。私とぶんちゃんが二階に行くよといっても、格之進はあがってきません。そのままにして、寝ていると、夜中になって、突然何を思い出したのか、私の布団に入ってくるのです。自分で入れないので、そばにきて、「くーん、くーん」と鳴いているのです。

 お布団に中に入れてあげると、その体の冷たいこと。おそらく寒さに目がさめたのでししょう。

 一度、ぶんちゃんが格之進が見えなかったので、二階にあがったものと思い、茶の間の扉を閉めてしまいました。夜中にふと格之進の吠える声が。下におりてみると、扉の前で吠えていて、開けると飛びついてきました。ダイナ君、熟睡中。二階のぶんちゃんも同じく。やれやれ。キャンプしたら、熊が出ようが、狼が出ようが、寝ているんだろうな。幸せな姉弟でした。

2006.12.24(Sun)22:31 |  日記  | コメント : 5 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 今晩はキャンドル礼拝でした。私のクリスチャン人生はそれほど長くないですが(十年くらいか)、24日ではなく23日にキャンドル礼拝するのは初めてですね。正直、変な感じです。

 このクリスマスの時期は結構忙しいですね。昨夜は買出し。今日は朝からゼリー作って、午後から昨夜仕込んでいたクッキー生地をばんばん焼いていきました。

 明日の礼拝は午後から皆でお食事しつつ、聖劇(イエス様のお生まれになったエピソード)を子供たちがやったり、これまでは毎年、私が伴奏して、子供が歌を歌ったりしておりましたが、子供はさすがに「おかあさんと一緒はいやだ」と言っております。ぶんちゃんは昨日お知らせしたように、学校ですね。

 ダイナ君は同じ高校生の友人たちと何か歌を歌う様子。彼は舞台に立つのが何ともない子です。中学のとき、五百人くらいの前で、一人でお笑いやりました。この秋も何人集まったのか知りませんが、文化祭で一人でラップを歌っております。

 ぶんちゃんは、まあ今回は出番なしですが、楽器とともに立った舞台は数知れず。出たコンクールも数しれず。私ですか? 音楽は聞くものではなくやるものと思っております。

 何やら大余興大会みたいに思われるとまずいクリスマス礼拝のお食事会ですが、だいたい教会では年に二回このようなことがありますね。もう一回はいつだかおわかりになりますかな。

 イースターですね。春です。イエスさまが墓からよみがえられたときです。

 それはさておき、私は毎回パンチの当番です。フルーツポンチね、缶詰、生の果物、それからそこに作ったゼリーを加えて、大きなボールに入れて、サイダーを入れるのです。全くお砂糖なし。缶詰のシロップもいれません。甘ったるさがありません。

 クッキーは何で作るかというと、クリスマスプレゼントですね。ついでにぶんちゃんが学校の友人に持っていくと言っています。

 前からしつこく言っております、私はお料理は嫌い。下手です。が、デザート作りはまあそこそこ頑張っております。だって、人にまかせていたら、太るからね。クッキーに使うお砂糖はメイプルシュガーだったり、三温糖だったり、黒砂糖だったりですが、味がかわっておもしろいですよ。白砂糖は使いませんよ、もちろん。

 昨日借りてきたピーター・シンガー、ガンジー。よい本を借りてきました。まだ読んでいないのですが、シンガーの方は、命の問題を丸ごと取り上げておるようです。哲学者ですが、思想家と紹介されておりましたね。環境問題、動物愛護問題、どうもヴェジタリアンのようですな。「日本は数少ない菜食主義の国であった」という一文が目に留まりました。

 ぼんやりと思うに、私たちの先祖は文明が遅れている負い目のために良いものを一切合財捨ててしまった感がしました。

 また、ガンジーの方もまだきちんと読んでいませんが、インドの独立ではなく、ガンジーは文明に対する警戒心を持っていた人であったことがわかりました。おもしろいことを書いておりましたね。「裸でいる原住民が服を着るようになったら、文明が進んだと考える。これはおかしい」ガンジーはヒンズー教、イスラム教の考えを擁護しておるようです。何が大切かというと、この二つの宗教は精神面を重要視していると。つまり安易に文明、つまり物質文化に迎合しないのですね。

 やはり本は読むものだ。と言いつつ、全然まだ手をつけていないのですが、自分の考えをもっと端的に理論的に展開していた賢い方々が数十年前に既にいたのだと思ったときに、なんか日本人って思考することをやめてしまったのかもと思いました。

 いつものように話はころころ変わって、素朴な疑問ですが、このブログにつけております右のカウントダウンツリー、クリスマスが来たらどうなるのかな。ちょっと残しておいてみよう。「クリスマスまであと364日」とか出るのなら、置いておくのもおもしろいかも。


2006.12.23(Sat)23:43 |  日記  | コメント : 4 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 今日でダイナ君は二学期が終了しました。一学期も二学期も入院があったけれども、まあそれなりに彼は楽しんで学校生活を送っています。一方、ぶんちゃん。明日は休みです。しかし、始業式は28日です。昨年も今年もクリスマスの礼拝に出席できません。日曜に授業があるなんて!!日本のクリスチャン人口は1%と言われています。クリスチャンには合わせてくれないんですよね。

 クリスチャンの中には、毅然として学校を休んだり、仕事を休んだりして、礼拝に出る方もいらっしゃいます。でもね、そういうことをしたら、セブンデイズ・アドベンティストというキリスト教の異端の派閥と同じになってしまいます。ちなみに、エホバの証人、ものみの塔、モルモン教、統一教会は異端として扱われています。何が異端と正統派との分かれ目になるか。それは、聖書以外のものを聖典としているということ、人間を神としてあがめているということ。この二つに注目していれば、まず間違うことはありません。キリスト教の中は旧教から新教、合い乱れていろいろありますね。極端な話、これが同じキリスト教かと思うこともありますよ。

 それはさておき、ダイナ君の学校は式典がからむと、実に終業が早いのです。今日など11時前でした。それで、ダイナ君は昼まで勉強して、ご飯を食べて、亀の水槽のお掃除。それから図書館に行ってきました。格之進がいるため、私はあまり一人で外に長い時間、外出しないのですが、ダイナ君が水槽のお掃除をしている間に、久しぶりに図書館に行ってきました。

 うちの近くには市立の図書館があります。自転車で五分くらい。私は自転車暴走族なので、五分ですが、ちんたら走ると十分ですね。暴走といいますと、ディープインパクト、あまり興味ありませんでしたが、この日曜に最終出走になるということで、ちらっとワイドショーに出ていました。たまたまテレビをつけたら出ていましたが、あの走りを見ていたら、馬って本当にいいなあと思いました。

 ダイナ君、ぶんちゃんと三人で乗馬クラブに通っていた頃、最初は二拍子の走りをするのですが、次に駆け足三拍子の走りをするのです。早い馬にあたると、ちょっと怖いのですが、インストラクターの方から、「おかあさんは今後どういうことがやりたいのですか?」と尋ねられ、「馬暴走族です」と答えました。メニエールもどきで乗馬クラブを退会して、結局格好よく障害を飛び越すことができずに、乗馬ブーツを脱いだけど、自転車に乗りながら、やはり暴走族やりたかったなあと思いました。ディープインパクトの走りを見つつ、せめて時代劇の早馬の役くらいまでやらせてもらいたかったなあと感じました。

 話はかわって、図書館ですね。私は必ず夜寝る前に本か雑誌を読みます。読まずに寝ることはないです。たとえ頭が痛くても、活字に触れずに寝ることはないです。同じ本を何度も読むこともありますが(あまりない。あきっぽいので)、世帯主が出張のときに買ってくる雑誌(週間文春とアエラが多い)、ぶんちゃんが借りてきた本などを読みつつ、寝ます。

 話はまたまた飛びますが、私が好きな作家はジョン・アーヴィングなのですが、ぶんちゃんが私の本を読んで同じく好きになって、大学では英米文学をやるのもいいなと言っております。英文学と米文学は悪いけれども、全然違うぞ。

 話はまたまた戻って、図書館ですね。なぜに珍しく図書館に行ったかといいますと、ピーター・シンガーの本をいくつか読んで勉強しておこうと思ったのです。動物愛護運動に多大な影響を与えたらしいのですが、ハードカヴァーばかりで、高いのですよね。買ってはずれであったらくやしいのと、なるべく本は増やしたくないのです。動物と一緒に暮らすようになってから、服も本もとにかく物を減らすことばかり考えております。身軽な生活を心がけておりますね。

 それともう一つ、ピースハウスという動物愛護団体のHPに掲げてあります言葉、先日広島関係の2ちゃんねるでも書かれておりましたが、

 その国家の偉大さを知りたければ、
 その国の動物がどのように扱われているか見ればよい。

という言葉ですが、これがどこに書かれているのか調べてみようと思ったので、ガンジーの著作も借りてきました。だいたい、聖書でもそうですが、その言葉だけ取り出してみて納得される方はいいのですが、その言葉の前後に何が書かれてあるかによって、実は本当の意味はそういうニュアンスではなかったということがあります。私はふと、ガンジーが独立運動をするにあたって、動物に目を向けるだけの余裕があったのだろうか。あったとしたら、インド人がイギリス人から家畜のような扱いをされていた、その扱いに憤ったことから動物に目を向けるようになったのだろうか。それとも、独立運動が終わってから目を向けたのだろうか、などと考えておったのです。

 それをはっきりさせるかねと思ったのでした。借りてきた本に載っているかどうかわかりせんけどね。ご存知の方、ご一報乞う。

 ガンジーといえば、小さな子供にキスしている写真を見たことがあります。子供好きな人に悪い人はいないということでしょうか。インドの将来を担う命を大切にしたということでしょうか。

 不思議ですよね。ガンジーの無抵抗主義、これはキング牧師の黒人解放運動、公民権運動に受け継がれていくのです。マーチン・ルーサー・キングという名前のルーサーはルターから来ています。ドイツのルターのプロテスタント(抵抗)の信念とインドのガンジーの非暴力・不服従の信念。これがアメリカのキング牧師に受け継がれているということを考えれば、いつも私がつぶやいております思いを受け継ぐことの大切さを感じます。といっても、この三人の目指したところは皆別々でしたけどね。単に影響を与えたというだけかもしれませんが。

 あきらめてはいけない。そうつぶやくときに、昔の方々の偉業に学んでみるのもよろしいかと。

 すべてのことに時がある。

 そう聖書に書かれてあります。愛するのにも、憎むのにも。出会うのにも、別れるのにも。私がこれからどうしていくかは自分でもわかりませんが、学ぶのにも時があるようで。
2006.12.22(Fri)21:57 |  日記  | コメント : 6 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 数日前に展開が早くてついていけない。またその内容があまりにひどくて気分が悪いと書いた記憶があります。広島ドッグパークです。動物愛護運動の発展を願いつつ、広島ウォッチャーをやっておりましたが、逆行じゃんかとがっくりきておりました。

 しかしながら、今日、いろんな記事を見ながら、なんと! お狂は希望を見出したのでした。

 私は五、六年前Macユーザーであったということを前にお話ししました。しかし、溢れる情報と品性のなさにパソコンから離れてしまいました。いろんな情報がありますが、暴かれた話。これはおもしろいですね。「あの人が。へー、そうだったんだ」と思う。そう思う自分の品性が地に落ちていることを知るんです。この場合、品性というのは、そうですね、人の弱みや不幸せをおもしろいと思う、汚い聞く(見る)に耐えない言葉を使う、という状態の対極にあるもの、とお考えください。

 三年くらい前から、windowsを使わないといけなくなり、こうしてPCの前に座るようになって、ぶんちゃんが2ちゃんねるなるものがあることを教えてくれました。使い方も教えてくれましたが、まさしく溢れる情報にいやけがさしました。そして、品性のない言葉を読んで、「最低。人間のさもしさがある」と思ったのですね。思ってはいるけど、口に出さないのと、思っていて口に出すのと、どの程度違うかというお話はまた別の機会に。

 それで、今回広島ドッグパークの問題で、最終的に2ちゃんねるが一番情報が得やすかったのです。また、なかにはひどい発言もありましたが、いつぞや書きましたが、自浄作用のある掲示板は安心できる。安心できる発言があったんです。

 「ここでブログのアドレスを貼り付けるのはやめようよ」
 「問題はそういうことじゃないだろ」
 「ごめん」

 ここに何人の方がいらっしゃって、どういう関係になっているのか、全く私にはわかりません。しかし、今回ボランティアさんが立ち上がってくれた時には、大きな力となってくれたのではと思います。

 ナナパパさんがご自分のブログで「2ちゃんねるは嫌い」と言われたようですが、今日、撤回されていました。そして、2ちゃんねるの方と広島でお会いしたと。2チャンネルの方もナナパパさんのことをあまりよく思ってらっしゃらなかったでしょう。ナナパパさんをはじめ、多くの方がボランティアに入りながら、ブログを書いてらっしゃいましたが、ボランティアの方々はAAに対して、疑問を持ちながら、それを記事としてはあげなかった。また、AAを擁護していた人もいらっしゃいました。突然、AAに対して怒りを書き込まれて、驚いた方々もいらっしゃったようです。

 しかし、今回、2ちゃんねるの方と現場のボランティアさんが「犬を救う」という一つの思いのもと、タッグを組んだ。これが動物愛護の原点だろ、と思いました。

 また、ナナパパさんのブログによりますと、ナナパパさんはこっそり広島に何度か足を運んでいたらしいのです。そして、今回、広島のボラさんたちと一緒に、代表に詰め寄ってくれたらしいのです。

 すべてを現場で見ていない私が、偉そうに言うことでもありません。が、役者はやはり代表の方が一枚も二枚も上。それでも、私が希望を持ったことに、ナナパパさんが代表との話し合いの前に、ボラさんたちと確認したことに、暴動ではないとか、感情的にならない、とかいうような点がありました。数日前に仲間が、犬さんを大阪に連れていこうとするのを阻止しようとして、警察に逮捕されているのです。感情的にならないはずがない。もう二度とそういうことをおこしてはならないと思ったのでしょう。そして、TVで放送されたのは一部ですから詳しくはわかりませんが、逮捕された仲間は、暴力を振るったんじゃない。相手を傷だらけになんかしていない、と言っていました。そこが放映されて、逮捕された方のために一矢報いた感じがしました。

 ナナパパさんのブログを読みますと、代表はまたもや警察を呼んでくれたらしですが、警察の方がボラさんの代表者はどなたですかと尋ねたときに、自分の免許証を見せたと。自分は責任者ではないが、自分がかぶるつもりだったというようなことを書いてありました。

 ナナパパさんが自分で書いていることですから、割り引いて読む必要があるかもしれません。しかし、です。AAの代表と全く器の違いを感じさせられます。仲間が逮捕されそうになったとき、その場にいなかった。でも、もし私が代表で、仲間が逮捕されるとなったら、「彼は悪くない。彼はそんな人じゃない。何かの間違いです。もしやったっとしたら、よほどのことを言われたんです」と出てきて言ったと思います。少なくとも、そのくらい代表でなくても、仲間であれば言いますよ。

 一方、大阪のボランティアの方は言われていました。AAがダークでなければ、これからだって協力すると。何でも、広島にボランティアに行かれていた方が、あの大阪の事件のときにいらっしゃって、インタヴューを受けていた、ということらしいですが。私だったら、言ってますよ。「さっさと犬を渡してよ。あの団体はめちゃくちゃするんだから。犬のことなんて考えてないよ」でも、あの方は大人でしたね。ダークという言葉をナナパパさんも使われていたので、おそらくボランティアさんたちはかなり意思の疎通を行なっていたのでしょう。

 これをみて思いましたね。ボランティアさんが動物愛護団体なんだと。そして、今までAAの悪影響しか見ていなかったけれども、ボランティアさんたちの体を張った行動を見たとき、世間の方々は見てくださったのではないでしょうか? お金をもらてやっているわけではない。好き好んで暴力事件にしているわけでも、大きな騒ぎにしているわけでもない。犬のために、戦っている。自分の犬でもないのに。

 こういう形がいいとは思いません。しかし、犬の幸せのために頑張っている方々がいることを見せてくれて、私は希望を持ちました。もう一度言いますが、ボランティアさんたちは好きで大きな騒ぎをおこしているのではありません。こうするしかなかったのでしょう。他にもっといい方法があるなら、そうしたでしょう。2ちゃんねるでも、救うためにどうすればいいかという議論があったときもありました。

 今回、キラママさんもいろいろと奔走されておるようです。一月前にはぼこぼこに言われておりました。キラママさんたちを悪く言った方々は謝ったのかなあ。キラママさんは、でも犬のために今頑張られていらっしゃるようです。子供なら、あんな風に叩かれて、もう二度と犬には関わらない、と思うところでしょう。

 ボランティアというのは、行きたいときは行きます。行きたくないときは行かなくていいのです。やめたいときにやめればいい。ですが、今や立ち上がったボランティアさんはもうただのボランティアさんではない。動物愛護団体になったのではないかと、私は思います。

 ただ、AAがそうだったように、皆が見ています。動物を愛している人たちって、こんなことするんだ、という失望だけは、もう見せないでくださいね。これからも、多くの方が見ています。動物愛護運動の発展を担ってしまったかもしれませんよ。

 しかし、依然として疑問がいろいろと残っています。これは誰が解明してくれるのでしょう? これでおしまいになってしまったのでしょうか?

2006.12.21(Thu)00:07 |  日記  | コメント : 2 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 今日もがんがんいくぜ~と思っていましたが、なんか元気がないので、明日にして、ちょっと今日の出来事など。

 今日、ダイナ君の入院友達のおかあさんがちょこっとやってきました。ダイナ君は高校一年ですが、その入院しているお子さんは三人兄弟の一番下。一番上のおねえさんがダイナ君と同じ年なのでした。そして、うちの近くの高校に行っているので、懇談のために車をうちにおかせてくださいとよられたのでした。

 うちの駐車スペース、ぎりぎり二台おけます。大きな車はだめですよ。自転車などは玄関の近くによせないとだめですけどね。

 で、終わった後、「ダイナ君、元気?」と玄関から声をかけてくれました。「うん、来週から入院だけどね」「あら、猫が三匹も。全部保護猫だったかな?」「一匹目は黒ねこの年子だよ」「え? この猫、りっぱだけど」「ぶんちゃんが学校の帰りに拾ってきたんだ」「へ~」

 うちに来たときの年子。かわいくなかったですわ。「またぶんちゃん、どうしてこんな汚い仔猫を」と思ったのは私だけではなかったのですが、ぶんちゃんの豊かな愛情のおかげで、長毛のふさふさゴージャスな猫さんとなりました。しかもおっとりしているので、まあ自分で言うのもなんですが品があるのです(おいおい)。

 「でも、ちょっとあの白い子、触らせて」「助ちゃん?いいよ」助ちゃん、変な顔をしてじっとしています。「きゃ~、猫の肉球ってこんなんだ。気持ちいい~。犬とは違うよね」

 そうです。こちらダックスさんが一匹。その前にはパグさんを飼われていて、パグさんが亡くなったので、次に今の犬さんが来たのです。このおかあさん、もう犬は飼わないと言っていたらしいですが、お知り合いのところで見たダックス、「かわいい~」ということで、連れて帰ったそうです。

 立ち話でしたが、病気の子供を持っている不安などを少しお話しして、またお茶でもと帰っていかれました。

 病気を持っている子供、というのは、気が抜けないのです。気が休まることもない。一生上手につきあっていけば、どうってことなくこの世の時間を全うできる、という病気ならいいのですが、命が終わることがある、という危惧がある病気というのは、未来が見えにくいのです。

 それでも調子がよければ、気にせずにいられますが、調子が悪かったりしたら、はらはらどきどきします。

 人間も動物も命のあるものは、皆そうです。生まれてきたら、いつか死にます。長く生きればいいというものではない。無意味というか、無駄に長く生きても仕方がないということもできます。しかしながら、人間も動物もそうですが、神様は生きている限りは無駄なことはなさらない。その命にはその命が今与えられている使命というのがあるのです。

 ダイナ君を見ていると、まだこの人の使命が何なのかわからずにいます。本人も回りの人間も。神様は人間と同じようにはお考えにならないので、私が見て「これが使命だ!」などというわかりやすいものではないかもしれません。

 それでもね、若くして天に帰ったり、幸せでないまま(人間の目から見てですが)天に帰ったりしたら、私は誰であっても、何でもあっても、つらいですよ。皆様もそうでしょう?だからこそ、生きていた間の使命が何であったか、探しあぐねるのですよね。

 兎の紅葉、「三日もたないかもしれません」と言われていて、半年一緒にいてくれました。あの半年がなければ、今の私はなかった。命というのは、こうやって使命を誰かにつなげていくものなのだと理解しています。

 動物愛護を考えたとき、私が言っていることは理想にすぎないと思われる方もいらっしゃると思います。それでも私はかまわないと思っています。私の思いを誰かが受け継いでくれて、それが何十年先であっても、成就すれば、私の理想は理想でなくなります。現実になっています。

 本当につらいことが多くある。動物を取り巻く環境はとてもつらいものがあります。しかし、私が感じたつらさ、それがいつか「そんなこともあったんだって」とすべての後の世代の人に言ってもらえるときがくるなら、つないでいこう。あきらめずに、その思いを。いつかすべての命の上に平安がくるまで。
2006.12.20(Wed)23:56 |  日記  | コメント : 2 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 全くついていけません。しかも、腹立たしさもあります。

 ひろしまドッグぱーくですね。最低ですね、この展開。始まった時にまさか、こういうことになるとは思いませんでした。誰も思ってなかったでしょう。どなたか「あの団体はやばいぞ」と思われた方もおられたかもしれない。しかし、まさかこういうことになるとは、その方々だって推測できなかったでしょう。

 なにがどうして、こういうことになるんでしょうか。犬の命を救って、犬に人並みの生活をさせてあげる(犬並みですね)。それだけのことが、これほどまでに難しいのですね。

 今、私の後ろには沖縄から来た格之進がいます。沖縄の「80頭を救いたい」プロジェクト、今日終了です。最後の犬さんが飛行機に乗って、すべての犬さんが愛護団体wishから出ていきました。一年かかっています。中には里親さん宅から帰ってきた犬さんもいました。その犬さんも新しい里親さんのもとに旅立っていきました。その七倍の数の犬が広島にいて、まだ九州にも2.5倍の犬さんが救いを待っています。

 今日、新聞で崖っぷちわんちゃんの続報を読みました。「里親になりたい」という申し出が多くあったらしいですが、その一部には「近くの保健所に犬はいますから、そちらからお引取りください」と職員さんが言われた、と書かれてありました。

 わざわざ広島や沖縄や徳島に行かなくても、近くの保健所に救いを求めている命があるのです。本当は私も沖縄から引き取るより、近くの保健所から引き取るべきだったでしょう。しかしながら、目で見てしまったのですね。別に格之進の顔に運命的な出会いを感じたわけではありません。「こんなにいるのか」と思ったその後で、私が思ったのは、「動物愛護団体の方、大変だろうな」私がこの団体に属していたなら、熱が出そうになっただろうなと思います。なんとかしてください、という叫びを見てしまったというのでしょうか。

 保健所の方々がもっともっとインターネットを活用すれば、「なんとかしてください、救ってください」という叫びが見えてくるのでしょうか。動物愛護団体の方は、とにかく犬や猫の里親さんを探すという一点に集中して活動しますが、保健所の方々はそれだけがお仕事ではないので、二の次になっているのでしょうか。うちの猫の避妊手術の補助金手続きに窓口に行ったとき、「もう少し積極的にPRされたらどうでしょうか? 市報に載せるとか」「貴重なご意見ありがとうございます」虚しかったですね。お礼を言ってくださらなくていいです。むしろ、「あなたは何もわかっていないんですね。里親を積極的に募集したなら、その倍の数の犬猫が保健所に持ち込まれますよ」とでも言っていただけた方が、まだよかったなと思いました。だって、私の耳には「あなたの気はすみましたか? こちらはあなたの意見は聞きましたけど、心には留めません」と言われたように聞こえましたから。いちいち真摯に返答していられないくらい、いろんなお仕事をされているのかもしれませんし、本音を言って言い合いになったら、窓口としては困るのかもしれません。

 話はもどって広島ですわ。この広島が始まったころ、私がひそかに期待していたのは、おそらく他にも同じように期待していた方々が多くいたと思いますが、この事件によって、動物愛護運動が進展していく、ということでした。動物愛護法の存在や、アニマルポリスのこと、動物をきちんと飼う意識とか、そういうことが前進していくことに役立てばいいなと思ったのです。

 最低ですね。進展どころか、逆行です。動物を食い物にする人のやり方が広く知れ渡ったということですね。医療費が足りないと言ってお金を集める。犬はあっちにやられたり、こっちにやられたり、精神面などケアしてもらえない。ひどい場合は肉体面でも。

 どうすれば、犬さんたちを幸せにしてあげられるのだろうと思いながら、どうすることもできない。行ったこともない私がいらいらするくらいですから、ひろしまドッグぱーくでボランティアされた方々の思いはどうしようもないものがあるでしょう。

 犬の所有権。これを法整備しないことには、何を言っても無力なのだと知らされたという感じです。どう整備するのか。これもまた、今の私にはよくわかりません。どういうことをすれば、同じことが繰り返されずにするのか。

 しかし、この代表、これだけ名前と顔を知られて、この先やっていけると思っているのでしょうか。それもまた理解できない感覚ですね。


 
2006.12.19(Tue)17:12 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 昨日は寒かったですね。ニュースによりますと、韓国では雪のせいで暴動があったようで、似たような顔をしていても、性格といいますか、国民性は本当に違うようです。六カ国協議も再開されておりますが、暮を押し迫って、キリスト教国の代表はプレゼント買う暇もありませんね。

 ダイナ君の学校の先生、授業でいろいろと話をしてくれるそうなのですが、一人の先生のお子さん、クリスマスのプレゼントを楽しみにしているそうです。ある年、枕元ではなく、ベランダに置いておいたとのこと。朝起きたお子さんが泣きながら、「プレゼントが来てない」お父さんであるその先生は「そういえば、ベランダに鍵をかけていたから入れなかったかも」あわててベランダに行くお子さん。プレゼントを持って嬉しそうな顔をしていた。「かわいかった」としみじみとおっしゃる先生でした。

 子供の喜ぶ顔が見たい。それだけで、親はプレゼントを漁るんですよね。昨日、珍しく、私は四時間近く家を空けなければなりませんでした。世帯主は風邪で寝込んでいる。ぶんちゃんは、一日センタープレ試験で予備校へ。ダイナ君は友人と遊びたい。というので、格之進を実家に預けました。迎えに行くと、母が「ずっと玄関で座って待っていた」とのこと。この子をおいてはどこにもいけません。

 犬のしつけといいますが、格之進はしつけすればいいのかもしれませんが、私は別にしつけなくても、そのままでも生活に支障を来たしていないし(全くいないと言ったら嘘かもしれませんが)、生まれて、三年になるのか、五年になるのかわかりませんが、私と一緒にいるのがいいのなら、それでいいじゃないかと思っています。「待て」とか「伏せ」とかできたら楽といえば、楽だと思いますわ。お食事皿を持っていくときに、飛び掛られないし。だけれども、それもそれでいいかと。ちょっと飼い主としては失格かもしれません。それもこれも、格之進はお散歩に出ないから言えることかもしれません。

 さて、本日、ダイナ君を向かえに行って、家に着いたまさにその時、前からたらちゃん発見!!あわてて、車を入れて、飼い主さんに「写真を撮らせてください」と許可を得て、カメラを持ってきました。今日は二匹でお散歩です。こちら、たらちゃん。
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こちら、ちょこちゃん。どちらも牡です。
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 毛の質が違うそうです。トイプーさんは、唯一困るのはトリミングだそうで、トリマーさんにお願いしないといけないそうです。でも、家では抜けた毛は自分の体の毛の中に閉じ込められてしまうとのこと。ブラッシングをきちんとしてあげれば、性格も温和だし、飼い易い犬種だそうです。

 二匹とも、私の足に飛びついてきて、なかなか人馴れしているトイプーさんでした。

 さて、更なる画像。そう、たまには画像をばんばん。
flower-001.jpg

 クリスマスプレゼントがやってまいりました。ありがとうございました。クリスマスらしいお花です。ふんふんですね。こちらの角度からだと。
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こうなります。さて、このお花、どうなるかといいますと。

 私の父は園芸が趣味の人です。鉢物はいただいたら、数日後に必ず父のところに持っていきます。そうしたならば、父が来年も花がつくようにしてくれるのです。父の作品で非常に評判がいいのが百合の花。一つの枝というか、茎にですね、つぼみが六つくらいなるのです。どの茎にもです。ですから、それが出来ると、父は私に「お世話になったところにお持ちしなさい」と数本持たせてくれます。「これ、買ったら高いよね」「高いよ」などと平気で言うお狂でした。

 お花はなるべく多くの方々に見ていただきたいですね。咲いている時間が短いですから、多くの方に「きれいだね」とほめてあげてほしいです。お花もまた生きていますから。



2006.12.18(Mon)21:04 |  日記  | コメント : 4 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 ここ数日、ぶんちゃんの様子がおかしいと思っていたら、世帯主までダウンしてしまい、今元気いっぱいなのは、猫三匹と格之進です。あ、私ですか? ちょっと喉が痛いときがあるので、とても用心しております。

 そもそも、最初に二週間前にダイナ君が発熱しました。その数日前から喉が痛いと言っていたのですが、血圧が高いことに気をとられていて、きちんとフォローしていなかったのですね。ダイナ君がおさまったな、と思ったら、ぶんちゃんが鼻が出て、喉が痛いと。だいたい、この子は元気な子ですから、ほったらかしですわ。すると、金曜日の十時前。お狂がいつものように、早めのお昼ねに入ろうとしたところです、がらがらと玄関が開きました。鍵をかけていたはずなのに、何だと出ていくと、ぶんちゃんが「鼻がひどく出て、喉が痛いので、早退してきた。保健室に行ったら、ベッドが全部塞がっていた。今朝、車で送ってもらったのに、ごめんね」

 前日、雨だったので、自転車を置いて帰ってきたのですね、ぶんちゃん。「せっかく送っていってもらったのに、ごめんね」などと、殊勝なことを言うものです。それに負けて、「早く寝なさいよ」とつまりは二人で寝てしまいました。

 昨日は、ギターを抱えて、ほくほくと出かけていった世帯主。今晩は晩御飯はいらないと言っていたのに、帰宅しております。「頭が痛い。体のふじぶしが痛い。飲みにいかずに寝る」

 だいたい、世帯主の風邪は非常に重たいというか、発熱を伴い、一日で治らない風邪をひくのですね。なぜかというと、この人、睡眠不足。毎晩毎晩、パソコンの前に座って何をしているのか知りませんが、かと思うと、休みはギター抱えて、素浪人。夜は夜で飲みに行っておりますね。

 ぶんちゃんといい、世帯主といい、自業自得じゃ。しかし、「へん、いい気味」と言っていられないのが、同居人のつらいところといいますか、責務といいますか。ぶんちゃんも世帯主も病院が嫌いなのです。まあ、風邪なら寝ていりゃいいんですわ。でも、うちの場合、一番怖いのは、ダイナ君に感染することです。

 ダイナ君と世帯主は同じ部屋で寝ていて、ぶんちゃんと私は同じ部屋で寝ています。というわけで、ダイナ君は昨晩から茶の間で寝ています。

 それに引き換え、猫三匹と格之進の元気なこと。ワット君も相変わらず、朝晩やってきて、「餌出して」と鳴いています。猫ケージとワット君ダンボール箱に湯たんぽを入れていますが、寒くなったので、一日三回入れています。ワット君はあまり入っていませんが、夕方というか、宵の口はその中にいることがあります。ワット君、牡のくせに、有閑マダムみたいな格好で湯たんぽにもたれかかっていることもあります。

 猫三匹はそれなりにポジションを入れ替わりながら、それでも年子はかなり控えめに湯たんぽの近くにいます。

 家族も動物たちもどうかこの冬、持ちこたえてください。野良猫、野良犬さんたちも、頑張って!!しかしながら、この寒空に下に凍えそうな人間の方々もいらっしゃるでしょう。神様、どうか、寒くてつらいと思っている命をすべて顧みてください。そして、体は暖かいけれども、心に隙間風が吹いていたり、どうしようもない孤独、寂寥感に襲われている方々にも、目を留めてくださいますように。

 もうすぐクリスマスです。この行事の準備をするために毎年、「どうしてイエス様は寒いときにお生まれになったのかねえ」と思っていました。今なら、わかります。一年の最後に、「今年は何もよいことがなかった」「今年はつらかった」と思っている方々に、希望を与えるためですね。

 みなさん、クリスマスはケーキを食べたり、お食事したりしなくても、別にいいんですよ。ご自分の幸せに浸ってくださればいいんです。でも、幸せな人間は、結構傲慢ですから、「幸せだなあ」と感じたら、幸せと思っていない方々がいることを少しだけ思い出してみてください。

 それでどうするのかって? それは私がどうしてくださいと言うことじゃないですね。
2006.12.17(Sun)23:42 |  日記  | コメント : 2 | トラックバック : 1
 今日も今日とて、お狂です。

 お狂の朝は早い。
 ことはなく、朝七時にのそのそとお布団の中から出てくる。その気配に気づいた格之進が、低血圧のお狂が階段を降りるのと一緒にばたばたと降りる。格之進の頭の中は、朝ご飯でいっぱいである。ぼーっとした頭で、まず猫の小さなお皿を三つだし、ストロバイト処方食をスプーンに一杯づつ盛っていく。猫たちは、階段から降りてきた気配に「ご飯くれ」運動を開始。ケージの中を登ったり、降りたりとうるさい。

 三段目(一番上)のケージの扉を開くと、猫は勢い良く外に出ていく。しかし、ここで賢い助三郎だけは、前足でなんとか踏ん張り、餌に一番にありつく。すばやい町子は未だ学習能力がないのか、再び三階にジャンプして飛び上がるのだが、出遅れた感じは全くない。助三郎のお皿に頭をつっこんで、まず助三郎の上前をはねてから、自分のお皿に頭をつっこむ。年子は三階に飛び上がれないので、二階の扉を開けてあげる。そこにほいっと飛び上がり、一人餌を食べる。

 既にワット君は玄関前で「にゃーにゃー」と待機している。普通のキャットフードを器に盛ってあげる。「はむはむ」といいつつ、食べていく。待たされた格之進、飛びついて「朝ごはんお願いします」と言うわりには、食べ始めると、「ちぇ、フードか。馬肉がいいな」という贅沢な食べ方をして、残している。それも一時間以内にはからっぽになるので、そのままにしておく。

 階段の下からダイナ君の名前を呼ぶ。ダイナ君は大声で返事し、大きなかばんを持って、階下に下りてくる。「お茶漬けにする? サンドイッチにする?」「普通のご飯」というやり取りがあって、半分寝ている状態でご飯を食べる。ダイナ君が起きた物音にぼけぼけとぶんちゃんが降りてくる。ぶんちゃんの朝の一声は「何を食べたらいい?」時々この質問にきれるお狂であった。

 卵を焼いたり、お味噌汁を温めたりしつつ、冷凍食品をレンジに入れ、お弁当をつめるお狂。ぶんちゃんはダイエットのためあまり食べない。ダイナ君は食事制限のため、つめられるものが決まっているということで、かなり楽な作業である。しかし、「ダイナ君のお弁当、地味だね」といわれたり、「ぶんちゃんのまま、調子悪いの?」などという友人だちの心無い批評(うそうそ)に傷つくでもないたくましい二人であった。

 お弁当をつめて終わった頃には、世帯主が食事を終え、お風呂に入ろうとしている。世帯主がお風呂に入ると、顔が洗えなくなるため(洗顔石鹸がバスルームの中にあるのと、洗面器を使う)、タイミングを計って、世帯主が入浴する前に洗面を完了しておかねばならない。適当に顔を洗うダイナ君はよしとして、洗面所の前にいるのが長いぶんちゃにとっては大きな問題である。

 身支度を整えると、ゴミだしである。少し歩いて道路を渡らなければならないが、少々の雨なら傘なしで走ればいい距離である。すぐ近くの高校の学生さん、附属小学校のかわいい生徒さん、会社にいそぐ方々を歩道に見つつ、車道の車の途切れたところで、ゴミ袋を引き摺りつつ、道路を渡る。

 家にもどったところで、ダイナ君をバス停まで車で送っていく。市内で一番交通量の多い道路を横切るので、正直いやなのであるが、毎朝、これを行なっている。雨の日はこの上に、ぶんちゃんを学校に送っていく。ぶんちゃんは自転車通学である。坂の急な山の上の学校に通っているので、スクールバスにせよと言ってあるのだが、スクールバスは月に五千円かかる。ぶんちゃんはもったいないというのである。しかし、雨の日は母親が借り出されるし、迎えに行くことなどもある。五千円を倹約しているぶんちゃんのために、ぶつぶつ言いつつも、送り迎えするお狂であった。

 そして、家族が皆いなくなった家で、一人朝ごはんを食べるお狂であった。お紅茶が大好きなお狂はパン食が多いが、食べる前にはもちろんお祈りして食べる。ダイナ君の血圧があがりませんように。子供二人の安全。野良犬、野良猫を守ってください。ペットショップの動物たちを守ってください。保健所の犬猫たちを助けてください。なと、祈っている間に、格之進の魔の手がお狂の朝ごはんに押し寄せてくるので、集中して祈れないこともしばしばである。

 その後、洗濯機を回しながら、湯たんぽのお湯を沸かす。猫ケージの中に入れる湯たんぽのお湯である。

 お狂の昼は、惰眠を貪っているので、朝に比べると、書くことが全くないのである。お狂が寝ているときは、格之進も一緒に寝ている。お狂がタオルケットを押入れから出すと、格之進はいそいそとお狂のそばにやってきて、寝転がるのである。格之進は主婦に向いているのかもしれない。

 というわけで、動物愛護とは全く関係ない記事となってしまいましたが、おわびといいますか、申し訳程度に今日の「ふんふん画像」を。
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相変わらず、年子は二人とは離れております。長毛だと、短毛より温かいのかなあ。
2006.12.15(Fri)17:33 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 また雨です。雨ばかりで、雨となると、子どもの送り迎えが多くなるのです。格之進を助手席に乗せ、走りまわっております。

 しつこく、今回は昨日の友人との会話の続きです。私の年上の友人の家の近くには、何て言うんでしょうか、個人菜園というのでしょうか、畑を坪いくらで貸している、そういう場所があるらしいのです。いろんな方が(おそらくアパート住まいであったり、敷地の中に畑を作るだけの面積がなかったり)その畑を借りて、いろんな物(たいてい野菜)を作っておられます。農薬を散布していないであろう畑には、蝶が来ている。だから見ていて、その方々の野菜を作る姿勢というのが垣間見えるというのです。

 農薬といいますと、友人が働いている幼稚園はうちから近いですが、町の中です。山までかなりありますが、その山に飛行機で農薬を散布する日があるらしいのです。そういう日は、子供たちを外には出さないそうです。いろいろと気を遣うのだなあと思います。

 それで、ここから先のお話は友人がテレビで見たというお話です。また聞きであることもあって、その番組を見た方の中で何か間違えていることにお気づきになったなら、お知らせください。

 赤道直下のある村のお話です。そこの村では鯨をとると、顎の骨しか残らないということだそうです。お肉はもちろん食用ですが、皮は干してそこから滴り落ちる油を採るそうです。骨は硬いので、何の道具になるのかわかりませんが、私が想像するに工具みたいな物になるのでしょうか。そこの村では野菜は作っていないのです。山の方にある村の方々と物々交換で、鯨のお肉と野菜を交換してもらうそうです。そして年間鯨が二頭採れれば、その村では一年間、物に不自由しない状態になるそうです。神様からいただいた物なので(キリスト教ではないそうです)、一つの無駄もないようにした結果が鯨の顎の骨だけ海に返す、ということになっていったようです。

 私が数年前から非常に感じていることがあります。いつぞや、アダムとエヴァのお話をしまして、誘惑は目から入るということをお知らせしたと思いますが。私がテレビを見ない理由はいろいろあります。その一つに、テレビを見ていると誘惑に負けてしまいそうになるのです。「あれ、格好いいじゃん」「あれほしいなあ」「あれ、便利そう」「お、ちょっと見にいってみるか」

 「買いなさいよ、買いなさいよ」「今がお得だよ」「これ持ってないとおかしいよ」「これ持ってると、優越感に浸れるよ」と誘惑を受けるのです。子供の頃、よくぶんちゃんもダイナ君もCMを見るたび、「ほしいなあ」と言っていました。その横で「あんな物、持って、一週間遊んだ後、どうするの」と言ったものでした。

 私は生協の組合員で週に一度、いろんな物を購入しておりますが、グループで回覧するカタログ、私には回さないでくださいと言っています。見たら、ほしくなる。本当にほしいのならいいのです。しかし、買って、自分の物にした途端、いまいちどうでもよくなってくる。本当に必要で、どうしても買わないといけないものではなかったということです。

 需要と供給によって、経済は回っていますが、根本的に何か間違ったところから経済活動は始まってしまったのではないか。そんな気持ちがします。神様から与えられたものだから、無駄にできない。そんな気持ちで、今日購入した物を眺めていられるか。そんな気持ちにはなりません。なぜか。お店にある物をお金で買ったからです。手軽に購入できるからです。

 鯨を採るために、その村の方々は大変な思いをしたでしょう。怪我をした方もいたかもしれない。自分の道具を駄目にされた方もいたかもしれない。そうしてようやく捕まえることができた鯨。相手も生き物です。神様に感謝して、丁寧に丁寧に解体していったでしょう。「ありがとうね。これで子供にお肉を食べさせてあげられるわ」と思ったおかあさんもいたでしょう。「わーい、鯨だ。おとうさん、頑張ってくれたよね」と思った子供もいたでしょう。様々な方々の思いが、一頭の鯨の上に集結し、最終的に自分たちでは作らなかった野菜が手に入るまでになる。こちらの村では鯨を採ることに一生懸命だったけれども、あちらの村では暑い日も寒い日も野菜を作ることに一生懸命だった。その苦労をどちらの村の方々も理解して、尊敬の念を持って交換する。そこには、神様、ありがとうございますという気持ちがあります。

 必要なだけ生産する。利益を上げるためではなく、食べていくのに必要なだけ働く。お金が介在して、物々交換でなくなったときに、経済活動は始まったのでしょうが(物の交換も経済活動というのかな?)、ひょっとしたら、それが間違いの始まりだったのだろうか?

 人間が便利に生きていく、ということは、近くのお店に行ったら、何でもある、ということなのでしょう。お魚が食べたいと思えば、スーパーに行けばある。野菜もあれば、電球もある。本もあれば、パンもある。ほしいと思えば、すぐ手に入る。お金さえあれば。ほしいと思ったときにすぐ手に入るために、いつも生産している。余ったものは安く売る。時には二束三文で。時には廃棄することも。

 これは推測です。間違っていたらすみません。農業関係の方、間違っている点をご指摘ください。ここ数ヶ月、白菜が廃棄されたり、大根が廃棄されたりしています。農薬を使わずに作っていたら、手間がかかると思います。もちろん、虫食いの野菜などスーパーで売ることなどできないと思いますが、農薬のおかげで昔に比べて野菜を作ることが楽になって、たくさん作ることができるようになったとしたら。手間暇がかかると、それほどたくさん生産できないから、という前提のもとにたった私の推論ですけど。

 ご自分の作った野菜が廃棄されていくのを見るのは、おつらいことだろうなと思います。たくさん実って神様に感謝するところを、暗澹とした気持ちでいなければならない。これってどういうこと?と思います。

 私たちは便利を求める。求めているものの先に経済活動が活発になっていっているとしたら、それは喜ばしいことなのでしょうが、こうして無駄な結果になるのはなぜなのでしょうか? これもまた便利を求めた結果なのでしょうか?

 随分前に、ここによく来てくださるみえっちさんが掃除機が壊れたということで、修理に出したという記事を読みました。掃除機には名前がつけられていて、うちに来たものだからと大切にされているのを見て、「私だったら買ってるよな」と思いました。「そろそろ新型使いたいもん」と思っていました。うちに来たものは、あの村の方々のように、これは絶対使えないというところまで使用することを考える。そんな知恵が私にはなかったのです。

 物を大切にするということは、作ってくれた人の苦労を後ろに見ながら、「よく働いてくれました」「よく私たちのためになってくれました」というところまでつきあっていく、ということなのかなと感じました。

 昨日の記事のコメントにどんぐりさんが重曹のことをお書きになってくれていました。私は独身の頃、食器洗いはぬか袋を作ってぬかで洗っていました。当時、家には母がいて、祖母がいて、二人がそちらにシフトしてくれなかったので、しばらくするとやめてしまいました。

 結婚してから、塩で食器を洗っていた時期もあります。お風呂で体も顔も髪も洗っていたことがあります。髪はすごかったですね。毛穴があるということで、汚れが全部落ちるまで生臭い臭いがするんです。髪ではなかったです。その時期が終わると、さらさらとしてきますが、大抵の人は生臭さの時期にあきらめてしまいます。歯磨きも塩でした。

 どうして今やっていないのでしょう? 自分でも不思議です。おそらく何かの折り、合成洗剤に手を出したのですね。そして、簡単さにそちらに乗ってしまったのです。

 どんぐりさんがその頃のことを思い出させてくださったので、ちょっと食器洗いに塩と重曹を使ってみます。重曹もキッチンに置いてあるのに、すぐ使わない。別に洗剤に手を出すのと代わりないのに、面倒くさい気がしてしまう。液状だからでしょう。ほんの少しのことなのに、人間て物ぐさにできています。便利ではなく、感謝の気持ちを持てば、自然と手がでる場所が変わってくるのでは?

 そんな気持ちがした雨の日でした。そうそう、世帯主さん、ボーナスありがとうございました。子供、犬、猫、亀を代表してお礼申し上げます。それから、神様、動物たちと一緒の生活をさせてくださってありがとうございます。自分の生活の中だけではなく、外にも目を向けることのできる、あなたが私を創ってくださったことを喜んでいただける命に、私がなれますように。
2006.12.14(Thu)18:38 |  日記  | コメント : 6 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。
 
 うちのぶんちゃん、月曜日に三者面談で、「どこにもひっかからない可能性がある」と言われました。あ、大学受験のお話です。で、ぶんちゃんは「浪人はしません。これ以上志望校は増やしません」「行くところがなかったらどうするんだ?」「就職します」この子は高校受験のときにも、無謀だという高校を受験し、今の進学校に行くようになってしまったのですが、返す返す、これは現実がわかっていないのだなと思いました。

 火曜日に、前にお話ししました祈りの友人がうちに来てくれまして、一緒にまた今週も祈りました。
「ぶんちゃん、かくがくしかじかなんですわ。なんかもう本当に必死さがないんですよ」「最近の子供って皆そうよ。危機感や緊張感がないのね。昨日も娘とどこからおかしくなったのかねと話していたのよ」

 この方の娘さん、三十代です。この方は既におばあちゃんなんです。「で、偏差値が出てきたころだという結論になったわけ。数字で、あなたはこの大学なら合格します。ここは無理ですという仕分けがされるようになってからだと」「そうですねえ。私の友人の中で数人、中学の教師がいるんですけどね。二十年も前ですよ。言ってましたわ。子供は学力がすべてでないことを知っている。学力がなくてもお金もうけはできる。つまり、子供はお金がすべてだと思っているわけですよ。昔、私たちの頃って、頼りになるのは自分の学力だけ。学力があったら、よい大学に行って、よい会社に入って安泰の路線に乗れる。もう一昔前は、大学に行くとか行かないとかいう余裕がないくらい食べることが難しかった。今は、二十年前よりもっと裕福ですからね」「そうよね。確かに裕福だわ」「そこへもってきて、株がどうのこうの。パソコンの前に一日座って、億のお金を動かせるわけですよ。額に汗してお金をもうけることが馬鹿らしくなってる」

 というわけで、ぶんちゃんも最近の子供だったわけです。その後、昨日のダイナ君との話、環境破壊のお話などしました。目の前にいる私の年上の友人は幼稚園の先生をしてらっしゃるのですが、ある時、ご父兄の方がめだかを持ってきてくれたと。「これが本当のめだかですからね」と言って見せてくれたというのです。めだかもいろんな外来種との交配が進んで、日本本来のめだかはなかなか見るのが難しいらしいです。友人は「これ、どこで採ったの?」と尋ねたらしいですが、その方は教えてくれなかったと。

 その人のお家では、水質を守ることについて敏感で、合成洗剤なんか使っていない。いろいろと環境に良いことを実践していらっしゃるらしいのよ。これを聞いて、結局そこまで行き着くことになるのだなと思いました。

 また、友人のお知り合いには、虫の採集が趣味の方もいらっしゃって、今年はこの虫がここでは採れない。となると、環境の変化に目がとまる。というわけで、幼稚園に来てもらって、環境についてお話してもらったこともあるそうです。

 うちの家。現在、家の中ではノーミートの生活をしています。私がもっとお料理が上手だったら、もっといろんな制限をしても平気なんでしょうが、とりあえず、まだお肉だけ食べないようにしています。環境まで考えたら、何かもう一つ、できることはないかなあ。簡単で、それほど生活ががらっと変わるということでないようなこと。何かご提案がありましたら、よろしくお願いします。

 さて、恒例になっております「今日のふんふん画像」です。
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 あれ、一匹いない。湯たんぽが入っているのは二階なのですが、年子は一人一階で。
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 ねえちゃんなので、ちょっと遠慮しているようなところもあります。長毛種はやはりおっとりしていますね。
2006.12.13(Wed)15:45 |  日記  | コメント : 4 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 この間、動物病院に行ったことをお伝えしましたが、お知らせするのを忘れておりました。動物病院にはいろんなサンプルが置いてあるのですが、私はいつも取れるだけ取ってきて、動物愛護団体に送る新聞紙の中に入れております。どうせ、私は中年主婦ですよ、図々しいです! フード以外には、餌の器、計量カップなどが置いてあることもあるのですが、どうせ私は中年主婦です! うちの餌皿は全部、ここで貰ってきたものです! 開き直ったところで、何やら今回見慣れぬ物が。
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 これが何であるか、受付の方に尋ねればよかったのですが、これはあれに違いない!! あれだよ、あれ。ほらほら、採尿キットですよね。今までカップというか、コップだったけれども、うまく採尿できないというお狂の声にお答えして、新しく作ってくれたんですよね? わーい、嬉しいな。しかもサイズが二つある。ちゃっかり二つとってきた私は、全くの中年主婦!!(何かもういやになってきました。自分のちゃっかり加減に。自分のことしか考えていない中年おばさんになりきっていることに)

 さて、昨日、期末テスト最終日が終わったダイナ君が早く帰ったきたのですが、一緒に昼ご飯を食べていて、ニュースを見ておりましたら、何やらお猿さんが増えすぎたというお知らせが。「人間のやったことだよ、決まってるじゃん」と私が言うと、「そうですね、だいたい環境破壊は古く農耕が始まった時と共に始まったとされていますからね」とダイナ君。

 原子力発電所。これを無くそうというと、推進派の方が必ず言うことがあります。「今更、電気のない生活にもどれるのですか?」「掃除機でなく箒で掃除しますか? クーラーなしで、ファンヒーターなしで、暑さ寒さを乗りきれますか? 電子レンジなしでお料理しますか?」反対派の方々の中には、きっぱりと「なくするためなら、掃除機を箒に持ち替えます」と言う方もいらっしゃいます。

 しかし、です。「地球温暖化を止めるために、車に乗るのをやめますか?」
と尋ねられたなら、どう答えますか? 

 ダイナ君が説明してくれたように、農耕時代が始まった時に、環境破壊が始まっていたなら、元にもどることは全く無理です。ではどこまでならもどすことができるのか? どんなに頑張ってもここまで便利になってしまった生活、数十年、いえ、数年前でしょう。

 私は最近よく感じます。無駄が多すぎる。物がありすぎる。人に欲望がある限り、環境を破壊する作業に人は加担せずにはいられない。

 イスラム教徒の方々が、ニューヨークを地獄に陥れたテロ。あの後、アメリカのコラムニストが書いた本を読みましたが、それまで知りませんでした。イスラム教徒がなぜアメリカを憎むのか。答えの一つに物質文化を持っているからというものがありました。物質文化という言い方は語弊がありますね。物に対する欲望が渦巻いている国だからです。

 民主主義の国は、独裁者のいる国を見て、どうしてあんなことがまかり通るのかと思います。同じように、イスラム教の方々(すべてだとは思いませんよ)は、どうしてあんなに欲望を追求できるのかと思うのでしょう。

 アメリカナイズされていることが、しゃれていることだと思っていました。合理的なことだと思っていました。帰国子女など珍しい時代に高校時代を送っていた私などは、アメリカにあこがれを抱いていました。今、そんな思いはありません。既に大学時代に、あの国はちょっとおかしいと思っていました。食生活を見てです。そして、今や、あの国はかなりおかしいと思うようになりました。政治を見てです。

 私達は何を大切にしないといけないのか。その問いかけに、答えてくれるのは、世界をリードしているアメリカでもなく、日本の知識階級の方々でもありません。惑わされてはいけない。自分で考え、自分で答えを見つけなければならない。

 環境を大切にするために、私たちは何かを捨てなければならないでしょう。では何を捨てるのか、どこまで捨てられるのか。一人捨てても、皆が捨てなければ環境を大切にすることはできません。誰が考えて決めるのか。

 いつか大変なことになる。それがわかっていながら、今よければいいと破壊を続けていく。自分で破壊しているつもりはないけれども、実は破壊している。動物愛護は最終的に環境保護にまでいくものだと私は思っていますが、どうしなければならないのか。多くの方々との議論が必要です。

 さて、あまり堅いお話ばかりでは何ですので、最後に「今日のふんふん画像」を。
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 昨日より、小さな湯たんぽなので、何やら一匹だけ上に乗っているようです。
2006.12.12(Tue)11:20 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 0
今日も今日とて、お狂です。

 今日は格之進を付き添いに、助三郎を動物病院に連れていきました。日曜も十九時まで診察してくださっている病院です。いつも早めの晩御飯を食べてから、出かけていきます。今日は実家を通って、そこでダイナ君が降りて(明日までテストです)、ぶんちゃんと二人で、格之進、助三郎と一緒に暗い道を走っていきました。

 途中、イルミネーションがきらきらしているお家もあります。先日、世帯主が出張から雑誌を持って帰り(いつも出張の移動中に雑誌を読むんです)、そこにイルミネーションの記事が出ていたのですが、夜になって帰宅する学生さん、OLさんの危険防止のために役立っているとのこと。なんか、そういうものじゃないのに、変な役立ち方だな~と。でも、そういう役立ち方の方がイルミネーションも嬉しいだろうなあとか思いました。

 続いて、石原真理子さんの記事が出ていて、ぶんちゃんが読みつつ、「この人誰?」「元祖ぷっつん女優だけれども」「全然きれいじゃないじゃん」「若い頃はなかなか、なんと言うかなあ、雰囲気のある人だったんだよ」「こんなことして、何やってるの」こんなことしてるんだよ。恋愛相手に感謝するのはいいけれども、それを本にするかね。別の相手といる人もいるのにそりゃ迷惑だよなあ。感謝するなら、その方に会ったときとか、お電話で、そう伝えればいいじゃないですか。公衆の面前で言うものかね。どうしても言いたいのなら、インタビュー受けたときに、ついでを装って言いなさいよ。本にまでしてなあ。

 続いて、堀江氏の裁判の様子と今後の展望が書いてありましたね。ぶんちゃんのお友達、堀江氏が講師を勤める大学に今年入学しました。「堀江先生のようになりたいです」と本心からではなく、面接でのたまわったとのこと。本心で言った人も多くいたでしょうね。この裁判の受け答え、読んでいますと、ライブドアの社員さんたちって情けなくならないのかねと思いましたね。こんな社長の下で働いていたんですよ。はっきり言うけど、ガキじゃん。社会人じゃないよね。

 イルミネーションのことから、雑誌関連にお話が飛んでしまいましたが、昨夜これを読んでいて思いましたわ。日本人が徳としてきたこと。これはもう日本にはどこにもないと。正直、「沈黙は金」という言葉を知っている人がどのくらいいるのかなと。いろんな思いはあるだろう。だけれども、それは「わかるよ」と言ってくれる家族か友人に言いなさい。「どんなときでも、あなたの味方だからね」と言ってくれる人に、いくらでも泣きながら、みっともなく言いなさい。

 しかし、二十歳過ぎた社会人なら、公の場でもっと潔く責任を取りなさい。私とぶんちゃん、一年前に今晩放映された「ラスト・サムライ」見て泣きましたけど、異国から来た人が日本人の美学に魅せられていく、そんな時代は過ぎました。

 明日、本当かどうか知りません。広島ドッグパークに入った愛護団体代表の記者会見があるとか、逮捕されるのではとかいう噂が飛んでいます。代表がどうなるか、よりも多くの方々は広島の犬さんの行方が気になるでしょう。

 代表様にお願いします。あなたがおやりになったことが巷で噂されているようなことなのか、どうかはわかりません。しかし、あなたについていく人は、おそらくほとんどいないでしょう。募金も集まらないでしょう。あなたが犬さんのことを大切にお考えになっていらっしゃるなら、お考えになっていらっしゃらなくても、ここは潔く撤退してください。企業が新しい土地に進出していって物を売るのとは違います。あなたの手のうちにあるのは、命です。このままあなたが広島に固執すればするほど、あなたは恨みを買います。人のマイナスのエネルギーを背負って、あなたは生きていくのですか? ここで撤退しても、あなたに対して恨みを持っていらっしゃる方々は、許してはくれないでしょう。恨みを持つことも、持たれることも、よりより生き方を拒むことになります。一人でも多くの方がその恨みを捨ててくださるように、私は願っていますから、どうか捨てられるように、あなたがまず頭を下げて撤退してください。

 そう訴えたくなったお狂でした。とかく雑誌を読むと、明るくはなれませんね。そういう社会ですからね。それで、今日のふんふん画像を。
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 この代表のもとに、2000頭のレスキューの話が来ているというのは本当なのでしょうか? いつになったら悲しまずにすむのでしょうね?
2006.12.10(Sun)00:52 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 1
 今日も今日とて、お狂です。

 この三日間、ずっと雨ですわ。野良犬、野良猫はどうしているのだろうと心配です。ワット君は背中を少しぬらしてやってきています。まず、きれで体を拭いてから、餌をあげます。

 ワット君、ここ数日ご機嫌。なぜなら、チャコママさんが格之進が食べる馬さんのお肉の安いお店を紹介してくれたのです。これが安いかどうかというのは、実はぴんときてないんです。というのも、前のお店では、お肉以外の物(粉末シリアル、粉末ベジタブル、粉末カルシウム)を買っていたのですが、今度のお店は本当にお肉屋さんなんです。で、お肉しか買えないのですが、送料無料になる代金になるまで購入しましたら、冷凍庫がいっぱいで入りきらない。製氷室も占拠しております。そういう意味では、やはり安かったのだろう(馬鹿だから、グラムあたりの単価というのを計算せずに購入している)。

 それで、冷凍庫に入りきらなかったお肉の袋が二つあって、一つはいいとしても、とにかく解凍したので、早く使わなければ。ところが、うちの助三郎と町子はストロバイト処方食。年子だけお肉は食べさせられない。外で食べているワット君にこそっと食べさせてあげたのです。これは、雨の中でも食べにきますわなあ。でも、お肉は格之進がそうだからですが、夜だけね。朝はドライフードだよ。

 ところで、トピックの「ふんふん」ですが、これは怒っているのではなく、鼻歌という感じにご解釈ください。鼻歌といいますと、私がつい口づさんでしまうのは、年がばれますが、「ラララ、ロボタ~ン」というロボタンがご機嫌に歩いているときに口づさむこのフレーズを、「ららら、お狂~」と言いつつ歌っているのでした。動物愛護とは何の関係もなく失礼しました。なお、ロボタンをご存じない方、検索してください。うちの助三郎、うちに来る前には、私はチャメゴンと呼んでおりました。が、チャメゴンがブースカの弟であることは知っていたのですが、ブースカのようなものだろうと(オバQの兄弟親戚、似てるでしょ?)思ってそう呼んでいたのです。ネットで検索してがっくりいたしました。これも動物愛護とは関係なかったです。小学生まではテレビを見ていたのですよ。中学生から全く見てないです。

 まあそれはよしとしましょう。数日前より、猫のケージに湯たんぽを入れております。だれが、一番「ふんふん」しているかというと、町子です。
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 夜になると、他の二人もこの固い湯たんぽの近くにそれぞれ触れているのですが、町子は見るといつもそこにいます。暖かいのが好きなのでしょう。

 私も寒がりです。足が冷たくて眠れません。昨日から電気毛布を敷きました。私、敷毛布が好きなんです。体が冷たくなっても、眠るときはあったか~。お風呂に入ってすぐ寝ようとするのですが、寝る前に最後にパソコンを開いてしまうから駄目ですね。広島ウォッチャーですから。

 広島は先々週から全く目が離せません。自分がぬくぬく寝られていることに感謝します。うちの猫や犬(格之進は一緒に寝ています)が寒さを憂えなくていいことを感謝します。だけれども、野良猫も野良犬も、広島ドッグパークの犬も、他にもいっぱいいるであろう寒さに震えている動物たち。寒さだけではなく、恐怖に震えている動物たちもいるでしょう。自分が恵まれていると思うたびに、何かできることはないのかなあと思います。

 時々、動物愛護に首なんか突っ込むのではなかった思うことがあります。心が苦しく、何もできないことがしんどいです。

 ぶんちゃんが生まれたとき、テレビのニュースで中国から九州に密航してくる人たちを多く見ました。まだ、バブルの前でしょうか。幼い子供を抱いている女性を見て、私が日本ではなく中国に生まれていたら、こんな大変なことをしたのだろうか。なりふりかまわず、船に乗ったのだろう。なのに、見つかって、強制送還か。やりきれない。

 その数日後には、タイの田舎から都会へ売春婦として売られていく女の子のニュースを見ました。ぶんちゃんが日本ではなくタイに生まれていたら、ぶんちゃんも売春婦にさせられただろうか。私は泣いて、「ダイナ君のために、いやだろうけど我慢してくれ」と言ったかもしれない。

 日本だって、百年前までに遡る必要もない、そういう時期があったのです。あの時期、どこの国に生まれていたら幸せだったのでしょう。

 動物たちもまた、現在ならドイツに生まれていたら、こんな状況には陥らなかった。皆、「ふんふん、湯たんぽ」と言っていたのかもしれない。そう思うたびに、苦しさがこみ上げてくるけれども、「あきらめてはだめ!」その一言を自分に言い聞かせます。

 明日は礼拝。今日苦しい分は、今晩神様に訴えます。祈って寝よ。明日は明日で、神様、早く動物たちが幸せになれますように、一歩でも動物愛護の運動を前進させてください。

 猫は湯たんぽ。私は電気毛布。寝るときは、ふんふん。いつかすべての命の上に。
2006.12.09(Sat)00:28 |  日記  | コメント : 4 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 今日はいろんな人とお話ししました。私はとりあえず、専業主婦なので、人と話をすることなどあまりありません。格之進とは話をしますけど。

 まず、自動車会社に行ったのです。私はミュシャが好きなのですが、来年のこの会社のカレンダー、ミュシャなので、恥をしのんで「もう一つちょうだい」と言いました。「いいですよ、そういうことはばんばん言ってください」それなら、昨年も言えばよかった。でももう一つほしいと思ったのは、ミュシャだからだけどね。

 で、ついでに最近クリスマス商戦で、ゲームが出てきてるねと。担当の方は私より十五はお若いと思いますが、「前日から並ぶなんて、その気持ちがわかりませんね」と言うので、「全くわからないわ」と同調するのでした。

 私はすごく気が短い。並ぶのは大嫌い。世帯主が十年くらい前でしょうか、子供二人を連れて何かのイベント会場に行ったのですが、長蛇の列。それに並んだら、子供が「おかあさんだったら、絶対今日はやめようと言った」と言ったとのこと。女性で自分より気が短い人に会ったことがありません。男性では、あります。私の父です。

 話はもどって、そこで自動車会社の方が「新車が発売になる日に、前日から並んでくれて、整理券配って、完売とかやってみたいですよ」「そりゃ、よほど景気がよくならないと無理だねえ」「そうですね。ゲームは価格設定が抜群なわけですよね。これが十万だったら、こんなに並ぶことはないかもしれませんね。ちょっと無理したら手に入るかなという値段。これですね」

 その後、私より気が短い人に会いにいきました。子供二人を連れて、晩御飯を食べさせてもらいに。世帯主は出張です。るんるん。食後父は寝てしまい、母と二人で話をしていました。「夫婦二人では広いね、この家。お掃除大変でしょ」「毎日する部屋は決まってるわね。あなたたち、一緒に住んでくれてもいいけど、犬猫はごめんだわね」

 格之進がかなり母に懐いてきましたが、相変わらず母は犬猫の毛が嫌いな模様。格之進が体をふるふるすると、いやだそうです。格之進は母がちょこっと何かくれるので、餌付けされてしまい、母がお台所に行くと、じっと見ています。父は格之進と仲良くなりたいのですが、父が何か差し出しても、警戒して近寄ってきません。

 動物と一緒に暮らしていると、嫌いな人の気持ちというのは理解できません。どうして嫌いなのかわからないのです。毛が嫌い、というのはわかる気持ちもします。だけれども、これだけ一緒にいて安らぎをくれるのに、もったいないなあと思います。人によって安らぎをくれるものが違う。となると、お金が安らぎをくれる、という方もいらっしゃるのでしょう。動物でよかった。となんとなく思うのです。ゲームなんかでなくて良かったなと。

 子供が外で遊ばなくなったとかいいますが、遊ばなくなったのではなく、遊べなくなったのかもしれません。外的要因として、危険がいっぱい。不審な人がうろうろしている。公園に子供が来なくなったというのは、ある意味異常な社会になってきていることを示しています。また小さな頃から塾に行かねばならない社会になったこともおかしい気がします。犬猫には社会化期というのがありますが、人間の社会化期が何歳か知りません。だけれども、社会生活を学ぶ時期がもし小学低学年までだとしたら、人間としてうまく育たないまま大人になっていくわけですね。

 ゲームって、大人に必要なのではないかなあ。特に高齢者でしょうか。指先を使って、ぼけ防止をするにはいいんじゃないかなあ。でも、目が見えにくくなっていたら、つらいよなあ。大きな画面でゲームするのなら、いいのではないかなあ。などと思います。

 動物を嫌いな方々の気持ちがわからない、と言ってしまうのは簡単ですが、嫌いな人も多くいる。その人たちを相手に、動物の命を大切にと言って理解してもらえるのか。こちらに対しては、動物愛護の看板を背負っている方々はどうしているのだろう。そんなところまで手が回らないのだろうなと思います。ゲームを取り巻く産業と動物を取り巻く産業は、なんか形態としてはあまり違わないようにも見えてくるのは、気のせいでしょうか。

 ゲームを嫌いな方はそれはそれでいいのです。「私はやらない」と言えばそれでいいし、やっている方々のことは遠くから眺めていたらいいのです。だけれども、動物は命です。嫌いな人にも「大切な命」と認識してもらうために、どうしたらいいのでしょうか? 動物愛護運動が活発になっていくためには、動物に対して冷ややかな視線を送っている方々に、せめて好意的に見てもらえるようにしていかなければならないのではないか。さて、どうしたらいいのでしょうか? 私って、問題提起はいくらでもしますが、解答を持っていない、結構お間抜けな人ですよね。
2006.12.07(Thu)02:03 |  日記  | コメント : 10 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 最近、私が散策するブログ主さん、ばたばたと倒れております。うちもダイナ君が倒れておりますが、私は元気です。母親というのは、そういうものです。

 今晩は祈祷会がありました。たいていの教会では、日曜に礼拝、水曜日(木曜のところもあれば、金曜のところもあります)に祈祷会があります。祈祷会は皆で集まって祈るんですが、あまり多くの人は参加しません。週の半ばだし、七時からだとお仕事が終わってない方もいらっしゃるし。

 今日は司会者の方が、「今年の神様からの恵みは何ですか?」と尋ねられたので、私はそうですね、ダイナ君が高校生になって、楽しそうにしていることですねと答えました。

 高校に入学して、生物専攻の理系のクラスに入り、非常に少ない人数で結構楽しそうにしています。担任の先生は生物部の顧問で、ダイナ君は週に一回、土曜日の午後(土曜日にも授業があります)に部活動に参加しています。学校の前の池の水質調査、すっぽんの飼育。本人は、大学の生物学科に進学して、亀の研究がしたいと言って、楽しそうに学校に通っています。

 ダイナ君は風邪のため、祈祷会をお休みしていたので、そのような発言になりましたが、隣に座っていたぶんちゃん、「ぶんちゃんはどうですか?」「何もない」なわけないだろ!!と言いそうになる母親の横で、「そうだ、八月に三番目の猫が来てかわいいんです」

 町子のことですね。私が「町子が来てから、どうもうまく犬と猫の間がいっていないし、猫三匹の素行が過激になった。町子は里子に出す」とよく言っていたので、軽く牽制したのかも。ストロバイトの町子はもう里子には出せないでしょう。もう町子はうちで面倒みるぞ。

 帰宅すると、ダイナ君が格之進と茶の間にいました。そうだなあ、格之進がうちに来たこと。これも神様からの恵みだよ。考えてみれば、どの子も、犬も猫もそうですが、ぶんちゃんもダイナ君も、神様がこの家に送りこんでくださったのですから、皆それぞれ頑張って生きていこうね。一日一日、いろんなことがあるだろうけれども、生きていくのではなく、そうだ、生かされていることを感じながら、一緒に生きていこうね。

 そして、その恵みを十分感謝できたら、家から外に目を向けていこう。同じ命がつらい思いをしていたなら、同じ時を生かされているものとして、できるだけのことをしていこう。自分がよかった、幸せだというところに留まることなく、誰もが不安や心配をしなくていいように生きていけますように。

 ダイナ君、まだ咳しているから、お狂、実はそれが心配です。突然、目線が家の中に入ってしまいました。
2006.12.06(Wed)01:20 |  日記  | コメント : 6 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 明日はぶんちゃん、期末テスト最終日。ダイナ君、期末テスト初日です。勉強する二人の間に割り込んで、爬虫類の写真などを眺めるお狂であった。というのも、昨日、ダイナ君に「スキンクってどんなトカゲ?」と尋ねたのでした。私が爬虫類の本を眺めていると、突然自分の部屋に行き、爬虫類写真集を持ってきてくれました。

 「うへ、蛇だ。やっぱりいや。お、揚子江鰐、かわいいね」などと私は一人言っていて、ふと「あれ、この本に海亀、載ってないじゃん」「これはペットショップで購入できる爬虫類図鑑。海亀はワシントン条約で売買できないよ。だいたい、あんな大きな亀、どうやって飼うの」「あ、そう」「揚子江鰐だって、証明なしでは飼育できないんだよ」「そうですか。古典の勉強しなさい」「教えてあげたのに。ぷんぷん」

 そう言っている間にも、ダイナ君は咳をひどくしています。先週、発熱して入院かと思われたダイナ君。なんとか持ちこたえたのですが、咳が残っています。しかもかなりひどい。一緒に勉強していて、ぶんちゃんが何度も「大丈夫?」と尋ねています。ダイナ君は病気の関係で食事制限があるのですが、それではエネルギーが足らないので、午前中にカロリージュース、午後と夜にたんぱく質抜きの特殊ミルクを飲んでいますが、昨夜も今晩も咳がひどくてミルクが飲めませんでした。

 明日、テストが終わったら、そのまま大学病院に点滴に行きます。格之進は実家に預けて、ちょっとつらい思いをするけど、頼むよ。

 しかし、揚子江鰐とか、海亀が咳をするところを想像してみたのですが、いまいちぴんときません。大きなマスクが、咳をする度に、口から遠くに飛んでいき、また口元にもどってくる。アニメのような様子しか浮かんでこないのは、それだけ大型爬虫類の馴染みがないからでしょう。

 ダイナ君、本当に大学で亀の研究したいのか?
2006.12.05(Tue)01:55 |  日記  | コメント : 2 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 今日、クリスチャンの友人がうちに来てくれました。九月よりずっと一緒に祈ろうとしていたのですが、できずにいたのです。祈りというのは、クリスチャンにとって呼吸みたいなものとされています。神様に対して、自分の思っていることを話すのですが、大抵は「お金がありませんので、与えてください」「病気を治してください」みたいな願望、「お金を与えてくださってありがとうございます」という感謝、「私はどうしたらいいのでしょうか」という道を示していただくこと、など、まあ親子の会話をご想像ください。

 キリスト教が他の宗教と違うこと。これは「とりなしの祈り」という形があることです。とりなしというのは、他の人の願いをその人にかわってお祈りする。というか、「お願いします。与えてあげてください」ととりなすというのでしょうか。

 ソドムとゴモラという非常に背徳的な町がありました。神様がその町を滅ぼそうとした時に、アブラハムというユダヤ人の先祖となる人が「どうか、その町に十人の正しい人がいたら滅ぼさないでください」とお願いする。この形が原型と言われています。

 とりなしの祈りというのは、クリスチャンは誰でも気軽にやります。「私のために祈ってください」「祈ります」と簡単に言うのですが、実は非常に難しい祈りとされています。なぜなら、当事者に代わって祈るわけですから、当事者と同じ痛みを理解しないといけないわけです。その人の心情がわかって、その人に成り代わってと言うのでしょうか。これができる方はそうおりません。

 今日、うちに来てくださった方は、私が現在一番信頼しているクリスチャンの一人です。クリスチャンと一言でいいますが、キリスト教には、ご存知、旧教もあれば新教もある。新教にも多くのスタイルがあります。同じ教会でも、考え方が違う方が多くいます。考え方が違うのはいいのですが、同じ悩みを持つというのでしょうか、教会の置かれた状況を同じように憂えることができる、となると、なかなか仲間がいないのです。その人の持っている信仰というのがそれぞれ違いますから。日曜に礼拝に出席していればいい、という方もいらっしゃれば、積極的にイエス様の愛を述べ伝えていこうと方もいらっしゃいます。また、自分の属している教会はこういうスタイルだけれども、改革が必要だと思っていらっしゃる方もいらっしゃいます。

 そういう中で一番、お互いの信仰を理解し合えるというのでしょうか。全く同じ考え方ではないですが、同じでなくてもいいのですね。その父親の子供が何人かいて、いろんな子供がいるじゃないですか。違っていていいんです。しかし、父親にたてついたときは、兄弟が父親が叱る前にばしっと叱る。こういうこともありますね。

 それはさておき、聖書を読んでから、まず、私の方から最近の状況、自分の置かれている状態、感じていることなどをお話ししたのです。

 動物愛護に足を突っ込んでから、初めて乳幼児、高齢者などに目が行くようになりました。同じように自分の思いを言葉にできないからです。言葉で訴えられないということは、どういうことかというと、いいようにされるということです。動物が何のために生まれてきたのか。苦しむためでも、狭い檻の中に閉じ込められるためでもない。乳幼児も高齢者も言葉で訴えられないために、同じように虐待を受ける。言葉が使えない命のために、言葉で訴えることができる人間が代弁者として訴えていかなければ、虐げられたままです。

 しかし、どの問題も根本的な解決方法は意識を変えること。社会の意識を変えねば、言葉で訴えられないことをいいことにいいようにされてしまう。私の祖母は介護施設に入っていますが、オムツを替えてくれる時間が決められていて、それ以外の時間に交換してくれません。

 そこまで言うと、幼稚園の先生である年上の友人は私の話の先を続けました。

 そうそう。うちもそうなの。交換してくれる時間がどうこうというのはね、まだいいのよ。私の主人の母。オムツだけしかはかされてないの。パジャマのズボンをはかされてないのよ。面倒くさいのはわかるのよ。一人でオムツの交換はできない。患者はいっぱいいる。空調がきちんと整っているから、いいではないかと思うのでしょうけど、これって命の尊厳という問題から見れば、非常に大きなことなのよ。人間として扱われていないということなのだから。お願いするのよ、はかせてくださいって。でもだめ。生きているっていうことは、こういうことではないと思うのだけれどもね。

 そうですね。介護施設は人手が足りません。だから、効率を考えればそうなるのでしょう。そういうことがまかり通っているのが、そもそも間違いですよ。意識の変革が必要なのです。一生懸命生きてきて、最期がそれでは惨めすぎる。そんな最期を平気でおくらせるそういう意識を変えないといけません。だかれどもね、意識の改革というのは簡単にできない。行政も法律も最終的に変革していかないといけないんですよ。ハードルが高すぎる。やってもやっても、訴えても訴えても、改善されないとむなしくなります。

 そこで彼女は私が一番聞きたい言葉を、そして言い続けている言葉を私に言ってくれました。

 あきらめてはだめ。

 私はいつも言っている言葉を彼女に、そして自分自身に、それから神様に言いました。

 そうですよね。今は無理でも、できることから一つからでも訴えていく。明日は無理でも一月先に変わるかもしれない。半年先に無理でも、一年先には変わるかもしれない。五年先に無理でも十年先には。私が生きている間に無理でも、子供の時代には。

 そして私と彼女は、クリスチャンであることを感謝しました。なぜなら、人にはできないことも、神には出来るということを知っているからです。私にはできない、だから神様にお願いして動いていただくのです。それから二人で祈りました。

 彼女が帰っていった後、勇気がわいてきました。私に何ができるわけでもない。しかし、あきらめない。動物の命も乳幼児の命も高齢者の命も、言葉で訴えられない命の尊厳を守っていかねば。あきらめずに、訴え続けていこう。この社会が変わらなければ、明るい未来などありませんから。

 動物愛護などという言葉がなくなる社会、乳幼児の虐待という言葉がなくなる社会、高齢者介護の悲劇という言葉がなくなる社会。命の尊厳とは愛されるということだと思っています。愛されていると確信し、生きていくこと。それが命の尊厳だと思っています。

 人の一生も動物の一生も、あまりに短い。だからこそ、愛されて生きていたい。祈りつつ、そう願うのでした。

 
2006.12.04(Mon)01:43 |  日記  | コメント : 2 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。うふふ、久しぶりのご挨拶です。文字化けが解消したのでした。嬉しいな。文字化けのおかげで、記事を書くのも気分が重く、パソコンの前に座る時間は長いものの、文字化けを直すことに時間ばかり費やしておりました。

 文字化けのおかげで、いろんな方々に直し方をお尋ねしたのですが、その中の一人が世帯主でした。世帯主はmacユーザーです。うちにはmacが三台あるのですが、一台はダイナ君が使っております。世帯主に洗脳されて、macは使いやすいと言っております。そう、確かにmacは使いやすいです。しかし、ソフトが少ない。これが誰もが言う難点です。そんなことはどうでもいいですが、私の遣っているwindowsだけで文字化けするのではないかと言われ、「ダイナ君のパソコンで見てみよう」と、世帯主、ダイナ君、私と隣のダイナ君の部屋に移動したのです。

 で、心ならずもそれまでブログを書いていたことを黙っていたのに、ダイナ君が確認して(文字化けしていました)閉じようとすると、「ダイナ君、おかあさんのブログだからブックマークをつけておきなさい」と世帯主が言ったので、「やばい!!ダイナ君はともかく、世帯主に見られたら悪口書けんじゃん」と思って、「いいよ、つけなくても」「つけておきなさい」

 ダイナ君は私のためを思ってではありません、どうでもいいから読みたくないため、つけずに閉じてしまいました。ありがとね。なんか、でも腹立つ!

 今晩、よい気持ちで深夜にギターを弾いて帰ってきた世帯主。玄関を開けるなり、「ワット君のために置いておいたダンボールは、風で飛ばされたのか?」「風で飛ばされてたから、玄関の水槽の上に置いてありますよ」「ワット君が来てるから出してやろう」

 世帯主がワット君のことを思っている? もう遅かったので、私は自分のお布団の中に湯たんぽをセットしていたのですが、「じゃあ、湯たんぽも出してあげよう」と自分の布団の中から出してきて、ワット君専用おくるみを巻いてダンボール箱の中に入れてあげたのでした。その後、ワット君がどうしたか知りませんが、ワット君は最近時々、やってきません。寒いからでしょうか。

 世帯主は(ブログがばれたので登場回数が増えたのではありませんよ)、「ワット君は絶対、うち以外でも餌を貰っている。そうでなければ、これだけ太っているはずがない。こいつの太り方は普通と違う」確かにぶんちゃんも、「おかあさん、もうワット君に餌やるのはやめたら? ワット君、大福ちゃんになってるよ」

 大福ちゃんというのは、いつぞやテレビで見た太りすぎの猫の名前です。「大福ちゃんみたいに10キロ越えたら大変だよ」野良猫さんが太っている。普通の太り方ではないですよ。

 だけれどもね、私がダイナ君を学校にお迎えに行って車を運転して帰ってくるでしょう。そしたら、ワット君が車を見つけてね、走ってうちにやってくるんですよ。太っているのに、一生懸命走って、気持ちは「ご飯が帰ってきた」でしょうけどね。フードの量を少し少なめにはしてますけど、ご飯でない時間に「おやつください」と鳴かれたら、つい煮干ですけどやってしまいますね。

 ところで、格之進。先日、動物病院に行き、「格ちゃん、ちょっと太りすぎですね。1キロくらい、痩せた方がいいですね」「え? ぶんちゃんもですか?」と私が一緒にいたぶんちゃんの方を向いて尋ねると、先生は笑っておりました。格之進は相変わらず、診察室の中で震えておりました。格之進が生き生きとするとき。それは私がお茶を持って茶の間に入ってきたときです。

 「おかあさんが、お茶を持ってきた。何かと一緒に食べるぞ。貰えるぞ」という気持ちがわかる顔をしております。一昨日、私の実家の母が五目御飯を作って、タッパーに入れて父が持ってきてくれました。お昼に一人で堪能しておりました。タッパーの中にはまだ残っています。蓋を覆いかぶせるだけで、きちんと蓋せずに、お茶を汲みに行ったのです。戻ってくると、格之進がきれいさっぱり食べておりました。太るわけだわなあ。

 ぶんちゃんはぶんちゃんで、留まるところのない食欲。「今晩、晩御飯は食べないから」「好きにしなさい」どうしてそう言うかというと、もうおわかりでしょう? 「パンがあるじゃん」「あ、プリンがある」「ヨーグルト、食べよ」「パスタ食べたいなあ。ないから、カップラーメンにしておこ」ぶんちゃんは、食欲中枢がこわれております。

 この間、ダイナ君が私の脇腹を失礼なことにつまんでおりました。「ぶよぶよ。ちょっと考えた方がいいよ」

 皆でダイエットか。でも幸せなことです。食べることができるのですから。食べられずに、飢えている人も動物もいるのです。幸せである時は、他人の不幸に対して鈍感になっている時です。

 ぶんちゃん、ダイナ君の通っていた幼稚園はカトリックでしたが、月に一回、おむすびの日というのがあります。おむすびだけしか食べないのです。おかずを我慢して、食べられない人たちのことに思いを馳せるのです。

 幸せであることを感謝します。食べられるだけ食べられることを。寝る場所もあれば、着るものをあることを。今はなるべく質素に生活したいと思っています。物をいっぱい持っていると安心のようですが、身軽にすぐどこでもいけるようにしておかねばと思っています。子供にもそう言っています。

 そこからどうするかは、個々人が考えることですが。


2006.12.02(Sat)02:14 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、この後を書くと文字化けしてしまうので、しばらくご挨拶できません。どうしてかなあ。突然、過去の記事が文字化けしてしまったのです。エンコードに異常はないし、携帯からは見られるし、プレヴューでも大丈夫なのに、文字化けしてしまうのです。

 パソコンに強い友人に数年ぶりにお電話しました。相談すると、それは大元が原因だと思うといわれてしまい、どうすることもできない状態。それはさておき、「ぶんちゃんはいくつになったかな」「大学受験だよ」「ダイナ君は?」「高校生」「え~、そんなに大きいのかあ」

 彼と話していて、昔から話の視点がおもしろい人ではあったのですが、「最近、政治が危ないな」「うん、私もわかるわ」「このまま行くと、徴兵されることになるかも」

 政治は数だといわれています。別に政治でなくても多数決なのです。ところが、物事の本質が見える人は本当に少ない。あ、私と彼とが見えているなどということ言うつもりはありませんよ。物事の本質が見えるのと、多数決とは違うということですね。

 イラク戦争のときに、反対したアメリカの議員さんがいましたね。非国民みたいに言われていました。あの人の意見に耳を傾けていたら、また違ったことになっていたかもしれませんが、一人で何十人を相手にするのはいかんせん、無理があります。これは今だから言えることです。人間って愚かにできています。

 もし、間違った方向に進んでいると思っていても、そう声をあげることに抵抗がある。袋叩きにされるのがわかっていて、声を上げられるか。無理でしょうね。

 広島ドッグパークを見ていても、同様です。今日の「きっこの日記」に、どこぞの記者さんのお話が載っていました。これは衝撃的でした。土地所有者、管理者、乗り込んできた愛護団体代表、皆悪だというのですが、最初にわかっていて、黙っていた。言える状況ではなかったというのです。

 今でも掲示板で、「あなたはかわいそうな人ですね」とか、「心根が腐っている」とか「どうしてそんな風に考えることができるのですか」とか書き込みがありますが、動物を救おうと思っている方々も、祖国を救おうと思っている方々も変わらない印象がします。

 客観的に物事を見る人というのは少ないです。その意見は、冷たく聞こえます。「本当にあの人は優しい人だわ」と言っているそばで、「優柔不断なだけだと思うけど」と言うと、「ああ、そうね」と答えが返ってくることはありません。「なんて、いやな人なの。ねたんでるの?」と言われるのがおちです。

 皆でを助けようと言っているときに、「そのやり方では無理がある」と言える人がいたのでしょうか? あの人の言う通りにしておけばいいんだとおそらく皆思っていたでしょう。「だって、の数も多いし、ボランティアさんの数も多いし」忙しさのために思考も停止していたかもしれません。

 皆がひどいめにあったので、憤りを持っていますから、客観的に冷静に物事を考え、ある意味さめた目で物事を観察していた人などいないでしょう。しかし、この記者さんのように思っていた人がいたとしたら、声をあげていてくれたなら、何とかなったのだろうか。無理だったでしょう。聞く耳を持っていなかったでしょう。私がボランティアに行っていたならきっと、「馬鹿なこと言ってる暇があったら、さんを散歩に連れていってよ」そう言っていたに違いない。

 ここから先、冷静に見ていくことができるでしょうか? さんのために、です。わかりません。自信がありません。一つ言えることは、暴走しそうになったとき、人の意見に耳を傾けるだけの余裕は努めて持つようにせねばならない、ということでしょう。できるのか? わかりません。

 だけれども、日本がどうなっていくのか? 「わかりません」では、子供に明日を託していけません。それと同様に、が不幸にならないように冷静に見ていけるのか? 「わかりません」では、犬の幸せはないのですね。

 どうか、命のあるものがすべて幸せになれるように、何が大切か見極める目を持つことができますように。それが無理なら、人の意見を聞くだけの謙虚さを持つことができますように。

 それにしても、文字化けは直るのか? どなたか、お教えを請う!!
2006.12.01(Fri)01:18 |  日記  | コメント : 2 | トラックバック : 0
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プロフィール

お狂

Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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