動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

by AlphaWolfy
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 今日も今日とて、お狂です。

 いや~、なんか引っ張るだけ引っ張って、「解決策はないです」では皆様、怒りますよね。ふざけるなって感じです。

 私は心理学者でもないし、精神科医でもないですが、これまでの自説の展開によりますと、動物虐待を含む「どうしてそんなことするのか信じられない」という人の行為には、「悪の本質を抑え込む訓練が幼児期、学童期にされていなかった」というケース、「されてはいたが、成長過程において、心に深い闇を抱え込んでしまい、それが虐待行為に及ぶ」というケース、この二つを兼ね備えたケースがあるということになりました。

 コメント欄に、「動物虐待はなくならないのですか?」と問いかけられた方がいらっしゃいます。動物虐待を心底憂え、二度とあってほしくないと願う方の悲痛な問いかけです。私も動物虐待はあってはならないことだと思いますし、決して許すことはできません。しかし、冷静に客観的に「動物虐待はなくならないのですか?」と問われれば、冷静に客観的に「あなたは、殺人がなくなると思いますか? いじめは? 窃盗はなくなると思いますか?」と答えるしかないですね。保健所での犬猫さんの殺処分がゼロになることの方が、まだ可能性としては高いと思います。

 しかしどんな問題も、無理だと思えば何も始まらないのです。一昨日、バルセロナの闘牛が今年限りでなくなることを新聞で知りました。実は、春にブログのご贔屓様がコメント欄で闘牛について疑問を投げかけておられましたので、私、ひそかに調べておりました。記事にしなかったのは、EUが闘牛廃止の法案を提出して、その結果が出てなかったからです。当然、「伝統だ」と言って反対している方々がいます。

 それはさておき、新聞記事では闘牛の廃止は動物愛護が要因だけれども、この運動の中心メンバーだったリュイス・ビリャコルタさんは3年前に一人で運動を始められたそうですが、その当時は闘牛ファンに殴られることがあったとか。

 「伝統を守る」という一言のために、無理だと思ったなら、闘牛は廃止されなかったでしょう。動物虐待はなくならない。そう断言できる一方で、そうであっていいわけがない。何より、そんな悲しいことがあっていいわけがない。始まりは感情です。理性ではない。解決策はないといいました。しかし、動物虐待を阻止するためにできることはあります。

 いろいろと論を展開してきたわりには、安直です。法律の強化と幼児期、学童期を通じての動物愛護精神を植えつけること。

 動物虐待という定義ですが、餌をやらない、水をやらないことも虐待ですと定義されています。それはそれでいいですが、もっともっと、細かな指針が必要です。それは、幼児虐待よりも細かな指針がいります。種が違うので(人間と)、人間がよいと思っていること、動物がいやだと思っていること、そこにはいろいろと誤解が出てきます。ですから、動物にとっての虐待は細かく明文化しておく必要があります。

 セクハラですね。これについては、本当にすばやく、指針が会社では配られました。なぜなら、訴えられる側は上司だからです。自分たちの首がかかっているからですね。また、部下である女性が感じていることを、彼らは理解できないからです。ですから、「これはokだけど、これは訴えられても仕方ありません」というガイドラインが結構短期間で示されました。

 動物たちのために、これは虐待だということを厳罰に提示してみせて、それを誰もが知っている状態にする。そして、警察は必ず取り締まる。警察も知っておいていただきたいです。動物虐待する人間は、人を虐待する可能性があるということを。そうなると、殺人を防ぐ可能性も出てくるし、殺人がおこった時の捜査も簡単になるやもしれません。そういう視点にたって、動物虐待はきちんと捜査して、取り締まっていただきたい。

 もう一つは、つまりは子供のしつけですね。今、学校飼育についての教室が開かれているところもあります。単発ですけどね。動物にとって、何が不快で、どうしてほしいと願っているのか。好ましい飼育状況はどういうものなのか。これを教えてくれていますが、私はもっと基本的なしつけの部分で、対処していかねば、おいついていかないだろうと思います。

 動物虐待もいじめも同じ線上にあると考えられるからです。他者を思いやる気持ちですね。これをどうやって植えつけるか。

 あるとき、私は幼稚園にいっていない子供を連れた知り合いと食事をしました。レストランに入るなり、知り合いはジュースを注文して子供に与えました。私はびっくりしました。食事の前にジュースかと。「これを与えておけば、とりあえず静かなんだ」

 またある時は、小学校低学年の子供をつれた知り合いと食事しました。席について食べるものを決めたなら、子供は母親のバッグの中からゲームを取り出しました。落ち着いて食事できました。

 しかしです。食事のときに、静かにしていてほしいから、こういう行為に及ぶとしたら、これは憂えるべき状況なのです。子供がレストランの中で、騒ぐ。親は「静かにしなさい」と叱る。何度も叱っているうちに、子供は叩かれたりするかもしれません。そうやって、子供はレストランでは静かにするべきだと教えられるのです。食べてしまったら、走りまわるかもしれません。首ねっこを捕まえられ、「食事しているときに走ったら、ほこりがたって、お食事している他の人に迷惑でしょ」といわれたりします。

 叱られながら、覚えていくのです。親にとって、何かを与えて静かにしていてくれることは好ましいことです。叱るのにもパワーがいりますから。しかし、親は子供と向き合って、へとへとになって育児をしていくべきではないでしょうか? 

 病院の待合室に熱を出した子供がしんどそうにしています。同じ待合室では検査に来ている一見元気な子供が、ゲームをしています。静かにしていますから、親としては誰にも迷惑をかけていません。しかし、この本を読んでと大声で言われた母親が、「じゃあ、あそこのお友達がつらそうだから、小さな声で読むかね。○○ちゃんも小さな声でお返事してよ」と言ったなら、病気の子供はつらいのか。それで大声を出したらいやなのかと理解する機会ができます。

 人の立場に立ったり、迷惑をかけないようにすることは、親が教えることですが、今の親は子供と向き合うことに対してパワーがない。それは、娯楽の多様化に伴って、親も遊びたい。遊ぶためには、お金がいるので、働くことにもなる。子育てするパワーが残っていないのです。

 もちろんそうでない親御さんもいらっしゃいます。しかし、これだけ娯楽が多様化していたら、「あそこに行きたいなあ」「あれもやってみたいなあ」と思います。カラオケにも行きたいし、友達と飲みにもいきたい。子育てするより働く方がいい。お金を稼いで、遊びに行きたい。子育ては疲れるし。

 生活費が足らなくて働く母親や、母親一人で子供を育てていらっしゃる方々は、働かねばなりません。それは基本的に子育てを犠牲にしているわけではありません。子育ては一時のことではあります。しかし、一つの人格の形成をする仕事なのです。もちろん、父親の協力もいりますし、母親のやることを父親がやってもなんらかまわないのですが、自分のやりたいことをやりたいようにやっていたのでは、子供を健全な社会生活に導いていくことはできません。

 週末に、遊園地やレジャーランド、動物園に出かけていって、それで子育てしているような錯覚をおこしているなら、親はとんでもない間違いをしていることになります。子育てというのは、日々の生活の中の小さな所作をきちんと行なうようにすることです。挨拶だったり、お箸の使い方、時には、「おもちゃをとりあげるんじゃありません」「小さい子にゆずってあげなさい」「扉は開けたら閉めなさい」「かえるさんにそんなことしたらかわいそうでしょ」「まず、はいと言いなさい」

 子育てというのは、子供と一緒にいればいいのではありません。社会生活を行なうのに、困らないような所作を見につけさせ、そこに善悪を教え、思いやりを教えていくことです。

 しかし、親の言動に他人はどうこういうことはできません。それならば、他人である私たちに出来ることは何か。それは、子供を見たなら、心の闇をかかえているのかもしれないという思いで見るということでしょう。つまり、よい隣人であろうとすることです。何か困ったことがあったら、相談にのるからねという思いをそれとなく、お知らせして、心の闇を吐き出させ、取り除く。その準備をしておくことでしょう。

 猫に石を投げようとしている子供に「こらあ!!」と叫んでやめさせることはできます。しかし、またするかもしれない。させないために、何ができるか。石を投げるには、投げるだけの心の闇があるのかもしれないと思うことです。「こらあ!」と叫んだあとに、叱るようにではなく、不思議そうに「何で、そんなことするの?」「かあちゃんが勉強しろってうるさいんだよ。ちょっとむしゃくしゃした」「そうかあ。そりゃ、うるさいな。僕は勉強したくないの?」「しなきゃいけないのはわかってる」「ふうん。偉いじゃん」「でもテレビ見たい」「じゃあさあ、これだけは見せて。後で勉強するからって言ってみたら?」「見せてくれないよ」「試しに言ってみなよ。見られたかどうか、今度会ったときに、おばちゃんに教えてよ。駄目だったらさ、おばちゃんと別の方法を考えようよ」「うん、じゃあ、言ってみるだけ言ってみる」「そうそう。言ってみてよ。それからね、猫に石あてて、あったらね、猫は痛いってことはわかるだろ?」「ああ、そうだね」「猫が恨みに思って君にたたったらどうする?」「え、やだよ、そんなの」「嘘だよ。でもね、君が石を投げつけられたら、相手に仕返ししてやろうかと思うだろ。猫はどう思うのかな」「動物だから何とも思わないよ」「いや、おばちゃんちの猫はね、おばちゃんが頭が痛いって寝たら、隣にやってきて、一緒に寝てくれるよ。猫って賢いんだからね」「そうなの?」「そうそう」

 これは実に理想的な展開となっています。このように少年とおばちゃんが、よい隣人関係を作っていってくれればいいですが、そんなことは無理です。しかし、無理かもしれないところを、「どうしてそんなことするの?」「勉強しろって、かあちゃんがうるせんだよ」で終わったとしても、今後の動物虐待への抑止力が働いてくるかもしれません。

 私が言いたいことは、動物虐待は絶対許せませんが、やっている人間は心の闇を持っている。本質で虐待をしている人間にいくら言ってもこれは無理だろうなと思いますが、心の闇を持っていて、大きなことになる前に少しでもその闇を小さくすることができれば。

 親のしつけが悪いんだと言うことは簡単ですが、自分もまた混沌とした思いやりのない社会を作っている要素になっているやもしれない。無関心という態度でもって。

 結論として、法律が強化され、きちんと機能し、一般的にそれが知られるようになること。そうしてほしいと声をあげる。隣人に対して、一声かける、そんな小さな行為が、虐待を防止する最初の一歩になるということ。

 もちろん、親御さんにはしっかり子育てしていただきたい。動物虐待もいじめも悪いことだと教えていただきたい。学校教育の中に動物愛護教室を開いていただきたい。そういう気持ちもありますよ。

 結局、どんな問題も、できることを一つから。これに尽きるということでしょう。

 
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2007.09.29(Sat)01:16 |  日記  | コメント : 14 | トラックバック : 0
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Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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練馬区で新しい家族を待っている猫さんがいます。詳しくは記事より。
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