動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

by AlphaWolfy
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 今日も今日とて、お狂です。

 私、本日49歳になりました。昨年、自分の誕生日に書いた記事には、おそらく(自分できちんと確認していない)年齢というのは、神様に祝福された時間であると書いた記憶がございます。ですから、年齢を尋ねられてもサバは読まない。きちんと本当のことを申し上げます。そして、やはりクリスチャンとして、自分の誕生日には「神様、ありがとうございます」と改めて感謝をいたします。この世に送ってくださってありがとうございます。首をくくろうかと思ったこともあったけど、まだ生かされていることをありがとうございます。今生きていることをありがとうございます。そして、皆様方とお知り合いになれましたことを(と言っても、お顔を存知ている方など片手に満たないのですが)、ありがとうございます。

 さて、最近感じることですが、生きている時間が長くなってくるとどうなっていかねばならないのか。いろいろ希望はありますけれども、一番目は謙虚になっていく。もちろん最初から謙虚な方もおられますが、私など傲慢な人間ですから、謙虚にならねばといつも思います。そうです、ケーブルテレビの応対に怒り爆発しているようではいかんのだがなあと思いつつ、生きていくうえでそうなっていくことはいわゆる、人間ができているということになりますかなあ(できてくるとも思えないし、できているわけでもないのですが)。

 もう一つは、思慮深くなっていかねばならないということでしょう。知識が増えてくる。これはよいことだと思うのですが、最近の社会を見ておりますと、なんかもっと思慮深い発言はないのかよと思ってしまいます。自分より年上の方々がテレビに出ておっしゃることに、「う~ん、そうだよなあ。本当だよ、気がつかなかったなあ」とか、「流石に、○○さんは言うことが違うよなあ。考えさせられるわ」と思うことがないのですよ。

 まあ、政治家の方々の発言を聞いていて、「ふざけんじゃね~ぜ、全く」と思う方々は多いと思うんですね。で、思慮深くなっていくとはどういうことなのかと言ったときに、これまたいろいろとあると思うんですが、年をとってきて思慮深くなるならば、そのうちの一つに必ず、社会に対する責任、みたいなものを考えねばならんのではないかなあと思うのです。

 社会が誰にとっても住みやすい社会で、弱者も安心して暮らしていける、まあ何やらテレビでは「セーフティ・ネット」などと言っておりますけどねえ、そんな社会であるならまあ誰もがお気楽、能天気でもよいかもしれません。しかし、どの国を見ましてもそうであるわけがない。誰かには暮らしやすくて、誰かには暮らしにくい。暮らしにくいなどという段階ならいいですが、暮らしていけない、となると、これは不幸な社会なわけです。となってきますと、私たちは暮らしやすい社会の実現に向けて、誰もが社会に対して責任を負っている。社会に対してではないですね、おそらく未来に対してでしょうか。今を生きている人間が次の世代にこの社会を渡す。渡すときには、渡されたときよりより健全である社会にして渡すべきであり、そうでなければ、生きていくことがつらくなってきます。困難になってきますよね。

 最近のオバマ氏の大統領就任演説でもありましたけれども、個人が社会に負う責任から始まって、企業が社会に負う責任。学校が、家庭が、ある地方が、負う責任というのがあるのですが、これがあまりにも希薄になっているのかなあと思うのですね。思慮深くなることの一つに、この社会に対する責任をどのように捉えて行動するのか、というのがあるのかなあと最近思います。

 どんどん派遣切りをする企業は、社会に対して責任を負っていないどころか、従業員に対して責任を負っていない。政府は国民に対して責任を負わない。親は子供対して責任を負わないので、給食費を滞納もできる。思慮深い大人というのはいないのかと思ってしまいます。

 そして、私が一番今、関心を持っていることは、クローン牛の市場への解禁ですね。これには愕然としました。有識者会議の方々は国民に対して責任を負ってくれるんだろうなと思いましたよ。どういうことかわかっているのかと。

 いつぞや、ヤコブ病のお話を記事にしました。狂牛病ですね。「眠れない一族」という本のお話です。人間がはるか昔、人を食べていた。そこから脳に異常をもたらす遺伝子を受け継いできているというお話でしたか、つまり、何千年前の風習が未だに人間の体の中に残っているのだということなんですが、クローン牛を食べたなら、これと同じことがおこるのではと私は危惧しているわけです。

 人が人を食べる。そのために、難病に苦しむ人が未だにいるのなら、人為的に作られた牛を食べた人にだって何かしら病気が出てきておかしくないでしょう。クローン牛など絶対食べない。しかし、偽装されてしまったら、簡単に口に入ってしまいます。

 思慮深くなるということは冒険をしないということになるかもしれません。こと食に関しては思慮深さなくして、どうして人類が安心して生きていけるのでしょうか。年をとって思慮深くならなければ、何のために経験を積んできたのか。不安なことを「危ないのではないか」と告発し、間違っていることを「絶対だめ」と言い張り、「馬鹿なことをするのはやめなさい」と諭す。そのために時間をかけて年をとってきたのではないか。

 どのいのちにも平安があるように、一つからでも声をあげていかねば。

 いくつの誕生日を迎えても、おそらく私は同じことを思っているのでしょう。この暗澹とした社会が続く限りは。

40頭を救いたいと始まった「ねりま猫」ですが、最後の1匹となりました。東京都練馬区の一件の家で、多頭飼い崩壊があったのは、昨年八月。ボランティアさんたちは本当によくやってくださいました。

とわjpg
 最後の永遠(とわ)ちゃんは、性格的にシャイな猫さんのようで、犬さんのいるようなご家庭は無理のようです。また多頭飼いもご遠慮したいとのことです。「最後の最後までよろしくお願い申しあげます」というのは、ご存知、選挙活動最終日の台詞ですが、どうぞ、皆様、最後のご協力をお願いいたします。

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2009.02.02(Mon)00:38 |  日記  | コメント : 10 | トラックバック : 0
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Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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  • 2009年02月
練馬区で新しい家族を待っている猫さんがいます。詳しくは記事より。
近況コメント (8/16up) Finetoday
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