動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

by AlphaWolfy
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 みなさん、こんにちは。「小ちゃい子ちゃん」です。今じゃ、猿美と呼ばれています。私はミルクの飲みが悪くてなかなか育たなかったの。それで「大きい子ちゃん」にくらべると、本当に小さかったんです。おとうさんもおかあさんも、「この子は育つのだろうか」と思ったらしいです。

 おかあさんは「仔猫育児はまかせとけ!」のみゆきおじさんに相談したりしたけど、みゆきおじさんは「大丈夫」って言っていました。おかあさんは三回も動物病院に相談に行ったそうだけど、結局三回目に」「フードにきりかえてみたらどうですか」と提案されたらしいのです。

 フードをプロセッサーで細かく砕いて、お湯でふやかせて、指につけて、私の口に持ってきてくれたんだけど、「大きい子ちゃん」は既にお皿から平気で食べてました。私はおかあさんの指から食べてたけど、ようやく「大きい子ちゃん」と同じくらいに食べるようになって、
「どうしても育たない子っているんですよね」とか獣医さんに言われてたけど、
「どんなもんだい!」って感じで大きくなってきたんです。

 尻尾が長いのでお猿みたいとよく言われます。

 この間、おかあさんのお友達のYANさんが来たんだけど、保護されてすぐのころ、注射器でミルクを飲ませてくれたことのあるYANさんは私たちが大きくなっていたのでびっくりしてました。というわけで、新しい家族を募集します。条件はいつもと同じです。

 1 譲渡契約書を交わしてくださる方
 2 身分証明書のコピーをとらせてくださる方
 3 完全室内飼い
 4 ワクチンを毎年打ってくださる方
 5 避妊手術を受けさせてくださる方
 6 迷子札を装着してくださる方
 7 当然、終生飼養してくださる方

 なお、お断りすることもありますし、一人暮らしの方は二、三、条件が加わります。できることなら、二匹一緒にお願いしたいんですが、御相談に応じます。お問い合わせは鍵コメで。
お待ちしてます。
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2010.08.24(Tue)23:19 |  日記  | コメント : 10 | トラックバック : 0
ookii1
 みなさん、こんにちは。私、「大きい子ちゃん」です。最近では、「猿子」って呼ばれています。お猿さんみたいに、ケージをよじのぼったりするからなんです。

 私、生まれたのは、倉庫なんです。おなかがすいてないてたら、温かい手が私の体をつかんで、箱に入れられたとのこと。中学生の男の子がね、どうにかしようとしたらしいのだけど、生後一週間くらいの仔猫を育てるなんて、簡単なことじゃないわよね。結局、鳴き声を聞きつけたお狂おかあさんに引き取られたわけです。おなかすいてるっていうのに、すぐ動物病院に連れていかれて、指導を受けて、育児が始まったわけ。

 私、目が開いてなくてわけがわからなかったんだけど、三人いた兄弟の一人がいなくなったことはわかったわ。全く、おかあさんてば、授乳が必要な仔猫を育てたことがないものだから…。まあ、今更言っても仕方のないことですけどね。
satooya2.jpg
 おとうさんてば、「くちくろちゃん」とか「はなくろちゃん」とか「とらちゃん」とか、私たちのことを呼んでたけど、今じゃ私なんか「猿子」よ、さ、る、こ! 本当、失礼しちゃう。私は三人の中で一番元気だったんです。育つのかと心配していた「くちくろちゃん」の「小ちゃい子ちゃん」も元気に育って、「猿美」とか呼ばれてるけど、私たちは仔猫なのよ、仔猫。元気いっぱい、走りまわって何が悪いの!

 小さいときはワットおじさんがよく遊んでくれたけど、今じゃワットおじさん、私たちに戸惑ってるわ。そりゃそうですよね。ワットおじさんは日がな寝てるけど、私たちは走りまわってるんだから。犬の格之進おじさんだって、私たちの敵じゃないわね。どうってことないわ。ワットおじさんは、随分気をつかってるみたいですけどね。

 こんな私たちですけど、新しい家族を募集しています。私たち、とっても仲良しだから、できるならば、姉妹一緒に迎えてくださる家族だといいんだけどなあ。でも、そうも言っていられないかしら。お尋ねは鍵コメで。御存じだとは思いますけど、おかあさんは妥協しない保護主なので、お断りすることもあるそうです。条件は明日、小ちゃい子ちゃんから。

 じゃ、またね、みなさん。



2010.08.19(Thu)20:50 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 ダイナ君の大学は八月一週目に試験があり、二週目より夏休みです。これはひと月前より決まっていたことですが、夏休みが始まり次第、ダイナ君は腹膜透析を開始することになっていました。それで、八月十日に入院いたしました。十一日には、局所麻酔の手術をして昨年の夏休みに腹部に埋め込んでいましたカテーテルを引き出しました。そして、腹膜透析が開始となりました。

 ずっと透析がいやで、いろいろと腎臓によいというものは試してきたのですが、ついに導入となってしまいました。クレアチニンという腎機能の値が正常値1.5のところが、ダイナ君は一番ひどいときで10を越していました。だいたい8を越すと、身体障害者一級となるのです。当然、ダイナ君は昨年より一級となっておりました。

 透析はいやだと言っていたので、手術室より出てきたダイナ君は落ち込んでいました。
「泣きたいんでしょ。泣いていいよ。我慢せずに泣きなさい」
そう私が言いますと、ダイナ君はぽろぽろと涙を流しました。ついでに、鼻水も。
それから、神様に祈りました。

「僕を癒してください」

 何年もかわらない祈りでした。

 今までカリウムが上がるからと、生野菜、果物、海藻を食べることを避けていましたが、透析するとカリウムが流れ出るということで、制限がなくなりました。まだわかりませんが、一週間に二回入れていた点滴も回数を減らすことができそうです。まだわかりませんけれども。

 二週間の入院となっていますが、手術が終わるとすぐ、透析が開始となりました。看護師さんの指導のもと、ダイナ君もやってみます。一日四回行う腹膜透析ですが、初日は三回。三回目には、一人でできるようになり、看護師さんに「覚えが早いね」と言われました。

 まあそうでしょうなあ。透析を十代から受ける患者さんは、そう多くありません。ほとんどの方が五十過ぎていらっしゃるんじゃないでしょうか? わかりませんけどね。

 ダイナ君の入院の日に、私の母が香川からやってきました。母はひと月前には、「おとうさんの入院とダイナ君の入院が一緒になったら、あなたが倒れるじゃないかしら」と言っておりましたが、重なることはありませんでした。「おとうさんは、ずっとダイナ君の入院を気にしていたのよ。行ってやらないといけないと言ってた」

 今聞くと、さみしい言葉ですが、おとうさんは病床にいても孫のことを気にしていたんだなあとしみじみと思いました。母はまだ悲しむ間がないと言っています。私も悲しむことなく今まで来ています。何かまだ父がいるような気がしているのは、一緒に住んでいなかったせいでしょうか。

 いのちというのは、自分でどうすることもできないものですね。そして、一生懸命前向きに生きていっていても、ふりかかってくることというのがある、ということでしょうか。
2010.08.13(Fri)02:29 |  日記  | コメント : 12 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 父の昇天につきまして、みなさまがたのお心温まるコメントなど、ありがとうございました。

 それで、うちの家ですね、みなさま、御存じの通り、いつも爆弾をかかえておるのですが。先天性代謝異常の大学生ダイナ君です。ダイナ君はこの病気のために、腎臓が悪くなっておりまして、そのせいで腎性貧血などをかかえてしまっておるわけです。四月から、早や三回輸血をしております。

 祖父を見送って、涙ながらのダイナ君を待っていたのは、通夜の席の後の食事。そこで、もどしてしまったんです。暑い日であったこともありますし、気持的に、初めて見る人の死です。その日は眠れなかったと言っておりました。それは、ぶんちゃんもぶんちゃんのお友達もそうでした。私など、ごけごけ寝ておりました。ここで寝ておかないと、もたないと思っていたのです。「さあ明日は早いぞ」という思い。それで寝ておったわけですけれども。

 ところが、図太い私と違って、ダイナ君、ぶんちゃんは睡眠不足になってしまいました。そして、理系のダイナ君はまだ大学が終わっていなくて、授業にそのままでで、夕方、お通夜の席に出席したわけです。お通夜の後、ダイナ君、ぶんちゃん、ぶんちゃんのお友達(手が足りないとて、泊って協力してもらっておりました)、私はすぐ帰宅することとなりました。といいますのも、岡山に猫を置いてきています。格之進は一緒に来ておりましたけれども、すぐ連れて帰らないといけません。で、とりあえず、おうどんを食べて帰宅することにしたのですが、その場でダイナ君はもどしてしまいました。

 点滴決定です。まず、高速道路で香川から岡山に帰り、ダイナ君を病院に連れていく。そして、私が運転していましたので、ぶんちゃんとお友達を家に連れて帰る。そして、病院に私だけもどる。という段取りです。


 病院にもどりますと、待っていたのは、小児科当直の先生の一言。

「おかあさん、ダイナ君、ヘモグロビンが5.2。輸血をすぐしたほうがいいなあ。一晩、泊って行く?」

 どうせ点滴したら、帰宅は夜中です。そのまま病院で寝て、輸血したらそれでいいかとダイナ君と私は泊りこみです。ぶんちゃんに電話して、「悪いけど、ダイナ君の薬を持ってきて。場所は…。それからパジャマ、衣装ケースの中にあるから」

 翌日の葬儀にダイナ君は欠席。ダイナ君とぶんちゃんの友人は家で、犬猫の世話をしていました。

 うちの家では何かおこったなら、ひとつではすまない。これはもう教訓ですね。ひどい時は、ここに犬猫のトラブルなどが加わったりします。でも、ぶんちゃんが一生懸命、助けてくれたおかげで、今回は助かりました。世帯主はというと、葬儀にかかりきりになって、弟が帰省するまで、私の母を助けて、ずっと事務関係を処理してくれていました。

 少々、ハードだったけど、私の後ろには教会の方々の熱い祈りがありました。

「お狂さんに平安を与えてください。体を守ってください」

 そう祈ってくださっている方々の存在を感じつつ、葬儀を終えました。

 そして、まだもう一つの山が、うちの家にはあるんです。まあ、それは次回…。
2010.08.06(Fri)23:03 |  日記  | コメント : 2 | トラックバック : 0
 今日も今日とて、お狂です。

 ごぶさたしております。本当、もう忘れられても仕方ないほど、ごぶさたしております。

 仔猫ちゃんたちはすごく元気で、今までうちに来た猫の中で一番活発です。すごいですわ。先住猫の三階建てケージを平気で上って、けろっとしています。大きな食器棚の一番上にも上って、「おりられない」とないたりします。

 ところで、ここ数カ月、あまり更新できなかったのは、私の父ですね。二月より末期胃癌で闘病しておりました。七月十九日に天に帰りました。

 私の祖父が帰ったのが、八月二十日、祖母が七月二十日。いずれも同居しておりましたので、夏になりますと、うちの家は仏教の行事がたてこんでまいります。祖母が天に帰ったのは、二年前。父と母は、祖母が天に帰るまでは病気になれないと頑張っておりました。祖母がいなくなってから、ようやく介護から解放され、旅行に行きまわっておりました。父は癌といわれてからも、ただただ旅行に行きたがっておりました。祖母がいなくなるまでは、全くそんな趣味はありませんでしたけれども。

 私には弟が一人おりますが、都会に住んでいます。私とて、御存じのようにダイナ君の進学で、香川の地を離れて岡山に来ております。両親は私が転出すると知って、がっくりきておりました。老後を見てくれる人がいなくなったわけですから。それで私は「いつでも来てください。いつでも行きます」と両親に言っておりました。

 父の病気がわかってから、世帯主には「母は一人で看病することになるので、最期はこちらに夫婦二人で来てもらいたい」とお願いしたら、世帯主は「幸い、広い家だから来てもらったらいい」と言ってくれました。

 教会の方にお尋ねしましたら、倉敷にはホスピスがあるとのこと。それで私はそこに転院を画策しておりました。「歩けなくなったら、そこに行ってよ」と父と約束しておりました。母がもう一人で毎日看病に自転車で病院に行くのがしんどいと言い出した六月には、父に「もうおかあさんのために、うちに来てください」と言いました。父は不承不承、「わかった」と言ってくれましたが、なかなかベッドがあきません。

 結局、七月七日に一般病棟に転院しました。ホスピスというか、緩和ケア病棟なので、一般の入院もあるわけですね。

 緩和ケア病棟だったら、自分のペットも面会のときに病室につれてくることができる、というので(個室の場合)、私は格之進を父のペットの振りしてつれてきて、一日、一緒に病室にいようと思っていました。お台所も共有でお料理していいということなので、毎日びわの葉こんにゃく湿布をしてあげられると思っていたのです(こんにゃくをお湯でがんがんに温めるのに、お鍋がいる)。弟が都会から最期の面会に来たなら、二、三日ならお布団を敷いて宿泊してもいいというお部屋もあったりして、七十歳以上なら、比較的入院費も安くてすむという、私などほくほくするような最期をおくることのできる場所のはずでした。

 しかし、父は最期まで、ベッドがあかずに、一般病棟の個室にいました。父は、人とかかわるのが嫌いな人なので、個室でないといやだと言い張っていました。

 最期は、兵庫からあわてて友人の車で送ってもらったぶんちゃん、世帯主が高松まで車で行って連れてきた私の母、その後、世帯主が家まで一度もどってつれてきたダイナ君、世帯主、私、ぶんちゃんの友人(関係ないのにかわいそう)の見守る中、天に帰っていきました。

 ぶんちゃんとダイナ君は父の両側に一人づつ、この世で生きることをやめてしまった父のことを思って、しばし泣いておりました。その間、私と母と世帯主は、高松へと父をつれて帰る段取りをせねばなりませんので、あたふたと夜二十時すぎて動いておりました。二人の子供には、さぞ薄情に見えたでしょうねえ。

 ですけれども、父が高松にいたときは、私は倉敷から車で行って病院に連れていったりしていたし、倉敷に入院してからは、毎日車で母がいたときは送り迎え、母がいなかったときには、毎日体をふきに行ったりしておりましたから、私の中では子供としてできることは何もかもやったつもりでおりました。

 父は倉敷に入院した日に、「おまえには迷惑かけるなあ」と言いましたけれども、子供として当たり前のことでして、私が父にかけた迷惑、父が私と私の子供にかけてくれた愛情を思いますと、なんか申し訳ないと今でも思っております。

 そんな中でも、うちの犬猫は元気にしていました。ありがとう。

2010.08.04(Wed)16:51 |  日記  | コメント : 10 | トラックバック : 0
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プロフィール

お狂

Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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  • 2010年08月
練馬区で新しい家族を待っている猫さんがいます。詳しくは記事より。
近況コメント (8/16up) Finetoday
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