動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

by AlphaWolfy
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 今日も今日とて、お狂です。

 本日、ダイナ君は二十歳になりました。成人ですね。生まれて十一日目に大学病院の新生児集中治療室に転院し、六か月そこにいて、退院するときに、いつも言いますけれども、若い医師に言われたひと言を誕生日がくるたびに思い出します。

 「この子はどのくらい生きられるのですか?」
 「わかりません」

 二十年は生きてきました。いつもこの時間を神様に感謝するのですが、今日は珍しく病気の子供の母親としての自分を振り返ってみました。

 なかなか我が子が病気であることを受け入れられなかった生後一カ月間。退院までの一日数回のNICU(新生児集中治療室)での授乳。途中から離乳食になってしまいましたけれども…。二歳のぶんちゃんに泣きながら「行かないで」と言われつつ、振り切って病院に車を運転していっていましたね。

 退院後一年はよかったけど、嘔吐下痢症にかかってからは、繰り返される入退院。そのたびに、私の母に泊りこんでもらって、ぶんちゃんをみてもらっていました。二十年の間には、三回、天に帰りかけたダイナ君ですけれども、二回目はちょうどぶんちゃんが幼稚園から小学校へとあがる三カ月の入院。

「私はいらん子や」=「私は必要ない子供」とすねたぶんちゃん。先の見えない入院時に、私にもう一つの悩みができた時期でした。だいたい、ぶんちゃんはダイナ君が大変なときに必ず問題をおこしてくれます。ダイナ君が大変なときはなぜかぶんちゃんの人生の節目となるときでして…。

 三回目にダイナ君が天に帰りかけたときは、ぶんちゃんが高校入試の時でした。一か月の入院の間、「これは無理かもしれない」とダイナ君の病状を見て覚悟していたのですが、おかげさまでそろそろ退院という時。学校をさぼって図書館で勉強していたぶんちゃんがパトロール中の先生に見つかってしまうことに。ぶんちゃんは志望校受験への点数の伸びがいまいちということで、焦っていたわけでして、担任の先生が図書館に迎えにきたときには素直に先生に従ったおかげで、電話一本ですまされました。ダイナ君が山を越したところで、「堪忍してくれよ~」とぶんちゃんの行動に頭を抱えたことでした。この後、肝移植の話が出たのでした。

 誰がドナーになるかという話を聞いてすぐ、「私、ドナーになるよ」とすぐさま言ってくれたぶんちゃん。「おかあさんは疲れやすいから、私がなる」と言ってくれたことをダイナ君は覚えていないでしょうなあ。私が覚えていればいいことか…。

 まあそれはさておき、ダイナ君が「どこの学校に入学するか」という問題が出るたびに繰り返されてきたうちの引っ越しですけれども、受け入れ先の小学校の校区に引っ越すために、高い家賃の場所とて、なかなか決まらない。大学のために引っ越すときは、御存じ、犬猫が多頭のためになかなか決まらない。そんな経験もいたしましたね。

 ミルクから離乳食になったダイナ君は食事制限が厳しくて、メニューを組む、食品成分表でたんぱく質の量を調べる、グラム数を決める、秤で計って調理する、という手順も数年おこなって、そのときが一番ストレスが私にかかりましたかねえ。ストレスといえば、この時期の後、カロリーが足りないというので、鼻から胃までマーゲンチューブを入れて、強制的にミルクを一日三回流すようになりました。チューブは私が入れました。いやがるダイナ君を押さえつけて入れて、おなかに聴診器をあてて入ったかどうか確認する。成長と同時に扁桃腺が大きくなり、耳鼻科で入れてもらわないと、小児科の先生でさえ入れられなくなりました。いずれにせよ、採血のときも泣き叫んで抵抗するわけですけど、「ダイナ君はそれでも、腕は動かさずにじっとしてるね」とおなかに馬乗りになって固定している看護婦さんに言われましたね。

 なんかこういう話はもういいですけれども、この二十年、母親としてかなりの時間、おそらく十六年くらいでしょうか、私は孤独だったなあと思います。親として、ダイナ君が背負っているもののために、なんとかダイナ君が普通に生活できるようにと、心を配ってきたつもりで、すべて一人で考えていました。ダイナ君の状態は私にしかわかりませんでしたから。週に三回点滴に行くようになっても、調子が悪そうだから今日も点滴に連れていかねば、という判断は私にしかできませんでしたし、検査データを見て、「これはまた明日も点滴だな」とか、「わ、入院だ」とかいうを感じるのも私だけでした。

 ぶんちゃん誕生とともに、退職しておりましたけれども、ダイナ君が生まれてからも、仕事に復帰しないかというお誘いは数回ありました。仕事したい気持もありました。でもできませんでした。いつダイナ君を病院に連れていくようになるかわかりませんでしたから。

 二十年たってみて感じるのは、「子供と関わる時間は決して長くない」ということでしょうか。子供が病気でなければわからなかったことが多くある。ダイナ君が病気でなければ、私には見えなかったものがあり、子供との結びつきが強くなることはなかったでしょう。

 ダイナ君の誕生日、毎年のように神様に感謝し、ダイナ君のために祈ってくださっている方々に感謝し、ブログで励ましてくださった方々に感謝します。先天性代謝異常メチルマロン酸血症の子供ではなく、成人となったダイナ君は、地上で許された時間を生きていき、私もまた母親としてこの病気と闘っていきます。「病気と共存」とか申しますが、この病気のために流された涙の多さを、私だけではなく多くのおかあさんたちの涙を思うときに、「共存」などするつもりはありません。「闘病」していきます。子供の病気のために泣くおかあさんたちがなくなりますように。

 苦しまなければ、聞き得ないみ言葉がある
 悩まなければ、捧げ得ない祈りがある
 傷まなければ、知り得ない悲しみがある
 なお病まなければ、私は神にお会いできなかった
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2010.09.03(Fri)03:38 |  日記  | コメント : 16 | トラックバック : 0
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Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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練馬区で新しい家族を待っている猫さんがいます。詳しくは記事より。
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