動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

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 今日も今日とて、お狂です。

 いや~、なんか引っ張るだけ引っ張って、「解決策はないです」では皆様、怒りますよね。ふざけるなって感じです。

 私は心理学者でもないし、精神科医でもないですが、これまでの自説の展開によりますと、動物虐待を含む「どうしてそんなことするのか信じられない」という人の行為には、「悪の本質を抑え込む訓練が幼児期、学童期にされていなかった」というケース、「されてはいたが、成長過程において、心に深い闇を抱え込んでしまい、それが虐待行為に及ぶ」というケース、この二つを兼ね備えたケースがあるということになりました。

 コメント欄に、「動物虐待はなくならないのですか?」と問いかけられた方がいらっしゃいます。動物虐待を心底憂え、二度とあってほしくないと願う方の悲痛な問いかけです。私も動物虐待はあってはならないことだと思いますし、決して許すことはできません。しかし、冷静に客観的に「動物虐待はなくならないのですか?」と問われれば、冷静に客観的に「あなたは、殺人がなくなると思いますか? いじめは? 窃盗はなくなると思いますか?」と答えるしかないですね。保健所での犬猫さんの殺処分がゼロになることの方が、まだ可能性としては高いと思います。

 しかしどんな問題も、無理だと思えば何も始まらないのです。一昨日、バルセロナの闘牛が今年限りでなくなることを新聞で知りました。実は、春にブログのご贔屓様がコメント欄で闘牛について疑問を投げかけておられましたので、私、ひそかに調べておりました。記事にしなかったのは、EUが闘牛廃止の法案を提出して、その結果が出てなかったからです。当然、「伝統だ」と言って反対している方々がいます。

 それはさておき、新聞記事では闘牛の廃止は動物愛護が要因だけれども、この運動の中心メンバーだったリュイス・ビリャコルタさんは3年前に一人で運動を始められたそうですが、その当時は闘牛ファンに殴られることがあったとか。

 「伝統を守る」という一言のために、無理だと思ったなら、闘牛は廃止されなかったでしょう。動物虐待はなくならない。そう断言できる一方で、そうであっていいわけがない。何より、そんな悲しいことがあっていいわけがない。始まりは感情です。理性ではない。解決策はないといいました。しかし、動物虐待を阻止するためにできることはあります。

 いろいろと論を展開してきたわりには、安直です。法律の強化と幼児期、学童期を通じての動物愛護精神を植えつけること。

 動物虐待という定義ですが、餌をやらない、水をやらないことも虐待ですと定義されています。それはそれでいいですが、もっともっと、細かな指針が必要です。それは、幼児虐待よりも細かな指針がいります。種が違うので(人間と)、人間がよいと思っていること、動物がいやだと思っていること、そこにはいろいろと誤解が出てきます。ですから、動物にとっての虐待は細かく明文化しておく必要があります。

 セクハラですね。これについては、本当にすばやく、指針が会社では配られました。なぜなら、訴えられる側は上司だからです。自分たちの首がかかっているからですね。また、部下である女性が感じていることを、彼らは理解できないからです。ですから、「これはokだけど、これは訴えられても仕方ありません」というガイドラインが結構短期間で示されました。

 動物たちのために、これは虐待だということを厳罰に提示してみせて、それを誰もが知っている状態にする。そして、警察は必ず取り締まる。警察も知っておいていただきたいです。動物虐待する人間は、人を虐待する可能性があるということを。そうなると、殺人を防ぐ可能性も出てくるし、殺人がおこった時の捜査も簡単になるやもしれません。そういう視点にたって、動物虐待はきちんと捜査して、取り締まっていただきたい。

 もう一つは、つまりは子供のしつけですね。今、学校飼育についての教室が開かれているところもあります。単発ですけどね。動物にとって、何が不快で、どうしてほしいと願っているのか。好ましい飼育状況はどういうものなのか。これを教えてくれていますが、私はもっと基本的なしつけの部分で、対処していかねば、おいついていかないだろうと思います。

 動物虐待もいじめも同じ線上にあると考えられるからです。他者を思いやる気持ちですね。これをどうやって植えつけるか。

 あるとき、私は幼稚園にいっていない子供を連れた知り合いと食事をしました。レストランに入るなり、知り合いはジュースを注文して子供に与えました。私はびっくりしました。食事の前にジュースかと。「これを与えておけば、とりあえず静かなんだ」

 またある時は、小学校低学年の子供をつれた知り合いと食事しました。席について食べるものを決めたなら、子供は母親のバッグの中からゲームを取り出しました。落ち着いて食事できました。

 しかしです。食事のときに、静かにしていてほしいから、こういう行為に及ぶとしたら、これは憂えるべき状況なのです。子供がレストランの中で、騒ぐ。親は「静かにしなさい」と叱る。何度も叱っているうちに、子供は叩かれたりするかもしれません。そうやって、子供はレストランでは静かにするべきだと教えられるのです。食べてしまったら、走りまわるかもしれません。首ねっこを捕まえられ、「食事しているときに走ったら、ほこりがたって、お食事している他の人に迷惑でしょ」といわれたりします。

 叱られながら、覚えていくのです。親にとって、何かを与えて静かにしていてくれることは好ましいことです。叱るのにもパワーがいりますから。しかし、親は子供と向き合って、へとへとになって育児をしていくべきではないでしょうか? 

 病院の待合室に熱を出した子供がしんどそうにしています。同じ待合室では検査に来ている一見元気な子供が、ゲームをしています。静かにしていますから、親としては誰にも迷惑をかけていません。しかし、この本を読んでと大声で言われた母親が、「じゃあ、あそこのお友達がつらそうだから、小さな声で読むかね。○○ちゃんも小さな声でお返事してよ」と言ったなら、病気の子供はつらいのか。それで大声を出したらいやなのかと理解する機会ができます。

 人の立場に立ったり、迷惑をかけないようにすることは、親が教えることですが、今の親は子供と向き合うことに対してパワーがない。それは、娯楽の多様化に伴って、親も遊びたい。遊ぶためには、お金がいるので、働くことにもなる。子育てするパワーが残っていないのです。

 もちろんそうでない親御さんもいらっしゃいます。しかし、これだけ娯楽が多様化していたら、「あそこに行きたいなあ」「あれもやってみたいなあ」と思います。カラオケにも行きたいし、友達と飲みにもいきたい。子育てするより働く方がいい。お金を稼いで、遊びに行きたい。子育ては疲れるし。

 生活費が足らなくて働く母親や、母親一人で子供を育てていらっしゃる方々は、働かねばなりません。それは基本的に子育てを犠牲にしているわけではありません。子育ては一時のことではあります。しかし、一つの人格の形成をする仕事なのです。もちろん、父親の協力もいりますし、母親のやることを父親がやってもなんらかまわないのですが、自分のやりたいことをやりたいようにやっていたのでは、子供を健全な社会生活に導いていくことはできません。

 週末に、遊園地やレジャーランド、動物園に出かけていって、それで子育てしているような錯覚をおこしているなら、親はとんでもない間違いをしていることになります。子育てというのは、日々の生活の中の小さな所作をきちんと行なうようにすることです。挨拶だったり、お箸の使い方、時には、「おもちゃをとりあげるんじゃありません」「小さい子にゆずってあげなさい」「扉は開けたら閉めなさい」「かえるさんにそんなことしたらかわいそうでしょ」「まず、はいと言いなさい」

 子育てというのは、子供と一緒にいればいいのではありません。社会生活を行なうのに、困らないような所作を見につけさせ、そこに善悪を教え、思いやりを教えていくことです。

 しかし、親の言動に他人はどうこういうことはできません。それならば、他人である私たちに出来ることは何か。それは、子供を見たなら、心の闇をかかえているのかもしれないという思いで見るということでしょう。つまり、よい隣人であろうとすることです。何か困ったことがあったら、相談にのるからねという思いをそれとなく、お知らせして、心の闇を吐き出させ、取り除く。その準備をしておくことでしょう。

 猫に石を投げようとしている子供に「こらあ!!」と叫んでやめさせることはできます。しかし、またするかもしれない。させないために、何ができるか。石を投げるには、投げるだけの心の闇があるのかもしれないと思うことです。「こらあ!」と叫んだあとに、叱るようにではなく、不思議そうに「何で、そんなことするの?」「かあちゃんが勉強しろってうるさいんだよ。ちょっとむしゃくしゃした」「そうかあ。そりゃ、うるさいな。僕は勉強したくないの?」「しなきゃいけないのはわかってる」「ふうん。偉いじゃん」「でもテレビ見たい」「じゃあさあ、これだけは見せて。後で勉強するからって言ってみたら?」「見せてくれないよ」「試しに言ってみなよ。見られたかどうか、今度会ったときに、おばちゃんに教えてよ。駄目だったらさ、おばちゃんと別の方法を考えようよ」「うん、じゃあ、言ってみるだけ言ってみる」「そうそう。言ってみてよ。それからね、猫に石あてて、あったらね、猫は痛いってことはわかるだろ?」「ああ、そうだね」「猫が恨みに思って君にたたったらどうする?」「え、やだよ、そんなの」「嘘だよ。でもね、君が石を投げつけられたら、相手に仕返ししてやろうかと思うだろ。猫はどう思うのかな」「動物だから何とも思わないよ」「いや、おばちゃんちの猫はね、おばちゃんが頭が痛いって寝たら、隣にやってきて、一緒に寝てくれるよ。猫って賢いんだからね」「そうなの?」「そうそう」

 これは実に理想的な展開となっています。このように少年とおばちゃんが、よい隣人関係を作っていってくれればいいですが、そんなことは無理です。しかし、無理かもしれないところを、「どうしてそんなことするの?」「勉強しろって、かあちゃんがうるせんだよ」で終わったとしても、今後の動物虐待への抑止力が働いてくるかもしれません。

 私が言いたいことは、動物虐待は絶対許せませんが、やっている人間は心の闇を持っている。本質で虐待をしている人間にいくら言ってもこれは無理だろうなと思いますが、心の闇を持っていて、大きなことになる前に少しでもその闇を小さくすることができれば。

 親のしつけが悪いんだと言うことは簡単ですが、自分もまた混沌とした思いやりのない社会を作っている要素になっているやもしれない。無関心という態度でもって。

 結論として、法律が強化され、きちんと機能し、一般的にそれが知られるようになること。そうしてほしいと声をあげる。隣人に対して、一声かける、そんな小さな行為が、虐待を防止する最初の一歩になるということ。

 もちろん、親御さんにはしっかり子育てしていただきたい。動物虐待もいじめも悪いことだと教えていただきたい。学校教育の中に動物愛護教室を開いていただきたい。そういう気持ちもありますよ。

 結局、どんな問題も、できることを一つから。これに尽きるということでしょう。

 
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2007.09.29(Sat)01:16 |  日記  | コメント : 14 | トラックバック : 0

昨日はご心配かけてすいませんでした。
今日はゆっくり休んで何とか復活できました。

最近の子供は躾がなってない・・・・と感じることが多いです。
以前主人の友人達とバーベキューに行ったのですが、子供が数人いて。
私は子供と遊ぶのは得意な方なのですぐに一人に懐かれ、お母さん方は次々と私に子供を預けて自分達はバーベキューの手伝いもせず雑誌を読んだり・・・。皆さん私より年上です。
子供達5歳以下で4人ほどでしたが、石などを子供同士で投げあいだしたり・・・。大きな石を持ち出したので、これはダメ!!と思ったのですが、ただ親がいる手前叱るわけにもいかず、小さな石を子供の腕にポンと置いて「今の痛かったでしょ?ポンってするのはダメなの。だからこれで一緒にゲームしようか」と石を使ったゲームを教えて子供達を喜ばせて何とかなりました。
なぜか私・・・電車に乗ったりしていても知らない子が子供が寄ってきたりするんです。
ただ・・・自分に子供が出来た時にはどうなるのか想像が出来ません。
児童・動物虐待する人の気持ちが読めると少しの解決策は見えるのかもしれませんが特に動物虐待については理解が出来ないです。
うちの近所にはやはり小さな子供さんを連れてきて「触らせて下さい。」と親御さんが来るのですが、その時にオヤツをあげる方法と撫で方等を教えて体験させるようにしてます。
そうするとその子もワンコが喜んでるっていうのが分かるんです。
その子も自分が喜ばせたという思いで、喜びます。
一緒に喜ぶっていう体験をして記憶に残ってくれるといいなと思ってます。
うちの区ではボランティアで犬を連れて小学校を回って触れ合い体験させたりというのを毎年募集しています。
まず区役所にいって躾のチェックを受けて選ばれた数等がやるのですが、老人ホームでの訪問などもします。
私は仕事をしているので平日が無理なので出来ないのですが、犬仲間ではやっている方がいるようです。
私は自分なりに公園に来る子には動物と楽しさを共有して欲しいと願ってます。

2007.09.30(Sun)03:46 | ナツママ #- | URL [ 編集 ]
ナツママさま
なるほど、ナツママさん宅は動物教室の一環となっているんですね。
素晴らしいじゃないですか。
そういう家っていいですね。

しかし、なんだ、その親ははらたつな。
ナツママさん、お上手ですね。
子供が好きな方って、いいですね。
私は子供、嫌いですからね。

動物を大切にする気持ちをうえつける。
個人でもできるんですね。
そういう取り組みがいっぱいあればいいですよね。
ナツさん、頑張ってくれ!!

2007.09.30(Sun)03:52 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
いえいえ・・・家ではやってなくて。
公園に集まって来る子供中心にやってるんです。
集まる子は親にちゃんと「触っていいですか?」と許可を取るように躾されてるんです。
確かに子供嫌いなワンコもいますから助かりますけど。


2007.09.30(Sun)05:14 | ナツママ #- | URL [ 編集 ]
闘牛がなくなるのはびっくりです
しかも一人の声から実現したということがすごいです。
昨年だったと思いますが、混んだ新幹線の中で座っていまして、近くに母と小学校中学年くらいのお兄ちゃんと低学年くらいの妹が来ました。次の駅で私の隣と、通路をはさんだ席が空いたので、お母さんは子どもたちを座らせました。新幹線のひじ掛けは上げることができるので、私は横のひじ掛けを上げるとその小柄なお母さんが座れるスペースができたので、3人掛けを4人で掛けて過ごしました。東京駅で降りる時に、通路をはさんだ席に座っていた男の子がやってきて「さっきはお母さんを座らせてくれてありがとうございました」ってペコリと頭を下げました。びっくりしました。知らない大人に話をすることもドキドキの年齢だと思うのに、しかも母に言いなさいと言われた様子もなく、本人が自分の意志で自分の気持ちを伝えにきたので。
このような子どもだったら、いけないことはいけないと伝え、それを受け止めてくれるだろうな、と今日のお狂さんの記事を読んで思い出しました。ほんとに子育ては大事だと思います。
学校の中に動物愛護教室を組み込むのは、すごくよいことだと思います。学校が受け入れやすい情報があれば(教室の目標を何にするか、どこに連絡すれば可能か、費用はどのくらいか、事前準備と片づけは何が必要でどのくらい時間がかかるか、動物アレルギーの子どもや動物のきらいな子がいてもできるか、他の学校での事後の児童生徒の感想はどうか、など)取り入れるところが無理なく増えそうな気がしました。

2007.09.30(Sun)06:12 | モモマルル #- | URL [ 編集 ]
重い話ですね
闘牛がなくなるはなしは初めて聞きました。
確かに伝統だったかもしれません。
でもそうゆう時代ではないということに気がついた方がいらっしゃったんですね。
日本でも鯨を食べるのは文化だからやってもいいんだという風潮があり、近年市場に出回る鯨の100%が試験操業だということがわかっていない人、わかっていてもだからどうしたと思っている人・・・
私は思うんですけどね・・・食べるものがない国ならともかく、食べるものがあって、こんなに捨ててるのに何が文化だって。
文化だっていうなら、それが何故必要なのか説明できる人間が居るのかっておもうんですよね~食べたいからであって、なくてはならない!ではないわけでしょ?
でも、いま捕鯨を禁止に持って行ってる国の人たちは、油をとる以外の全てを捨ててゴミとして処分していたけど、日本は骨の一欠けらでも利用して使ってきた。それを責められる立場の人は、禁止論を打ち出している人の中には居ないわけです。
何もかも否定するのではなく、少しだけ聞こうよ・・・そう思う今日この頃です。
私には子供が居ないので、子育てがこうあるべきだとは言いませんが、何かを与えているから大丈夫とか、うちの子は大人しいとか勝手に想像してはいけないんですよね。
私は、親に育児放棄の状態を受けた当事者です。
親は私の制服が切り刻まれても見てみない振りしましたし、まわりの子供相手に本気で冷たい視線しか送らなかった・・・
父親に抱かれたこともなければ、母に撫でてもらった経験もありません。
でも、気まぐれでも褒められた記憶はあります。
父の趣味を受け継ぐ形で、母の優しさと弱さを受け継ぐ形で、いま生きてるようなものです。
親は子供の見本にしかならない。。。とんびが鷹を産むことは決してないんですよ。
私も機会があれば、職場での子供に接しています。
公園に来て、父親に5時間も立たされた状態で説教を受ける子も居れば、虫一匹でも底に家族が居るんだよって教える父親も居ます。
人間はやっぱり教育ですね・・・。お狂さんの記事を読んで・・・支離滅裂に成っちゃいましたけど・・・やっぱり重いですね。
長々とすみません。

2007.09.30(Sun)17:30 |  #TvRYy6uw | URL [ 編集 ]
確かに、罪を罪として、悪いことは悪いこととしてみなければなりません。
しかしお狂さんがおっしゃるとおり、心の闇をわかってあげようとし、
闇を晴らすお手伝いをしてあげなければいけないとも思います。
罪に手を染めてしまったヒトは、心の闇を晴らす手段がわからなかったり
手助けが必要だと思っているのかもしれない、と思っています。
罪を犯す前に気づいてあげられるのが一番いいのですけどね。
私がもし親になったときは、子供がなにか悪いことをしたらまず
どうしてそういうことをしたのかと、必ず聞こうと思いました。

2007.09.30(Sun)22:13 | 「はたらくネコ。」の同居人 #- | URL [ 編集 ]
闘牛がなくなる話、はじめて聞きました。
鵜飼もやめて欲しいと思います。

私は決して子供は嫌いじゃないけれど、でも、わがまま放題にさせる親は大嫌いです。
子供に甘すぎる親は見ていてイライラします。
ある時、皮膚科に行きました。
皮膚科って、子供が多いんですよね。アトピーとかで。
走り回って奇声を上げてはしゃぐ子供に、その親はニコニコと「○○ちゃ~ん、静かにしなさ~い」と、たった一言。その後、知っている人と会ったらしくぺちゃくちゃおしゃべり・・・。子供は相変わらず、奇声をあげて走ってました。
待合室の年を召した方が、その子供をつかまえて優しく諭してくれて、その子供は一時は静かになりましたが、結局また同じです。

それに、今の親って自分が基準で驚きます。
深夜近くに子供を連れまわしている親はザラですし・・・。

私の親はいつも口を酸っぱくして言ってました。「人様の迷惑になるようなことは絶対にしてはいけない」と。
どんなに勉強が出来ようが、人間はやっぱり人間性が大事ですよね。

2007.09.30(Sun)23:11 | みい #- | URL [ 編集 ]
ナツママさま
してみると、公園は本当に公園として、
知らない人同士が触れ合える場所となっているわけですね。
公園がきちんと機能して、地域の方々が挨拶したらり
名前を知らないなりに交流ができる。
これは本来の姿ですよね。
ナツさん、一役かってくれ!!

2007.10.01(Mon)00:01 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
モモマルルさま
子供というのは、本当に親のしつけに係っているなと思いますね。
知らない人に感謝や謝罪の言葉が、きちんといえるというのは、
大切なことですよね。
まず、そこで人間関係の軋轢が緩衝されるわけですからね。
物事を荒立てないという態度がいいか悪いかは、
別の議論となりますが、荒立てずにすむ方法があるのも事実です。
また、善意の人に報いることになる場合もあります。

動物愛護教室も、遊園地などの安易な動物ふれあい教室よりずっと
有意義だと思いますけどねえ。



2007.10.01(Mon)00:05 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
蒼さま
そうですか、そんな思いをなさっていたのですか。
まさしく心の闇ですね。
なんというのか、言葉がないです。
私は人は愛情をいっぱいかけてもらえればいいと思っていたんですよ。
しかし、愛情いっぱいに育ったための傲慢さというのを見ることがありました。
傲慢さを生むということは、その愛情は間違った愛情であったのかもしれません。
傷を受けて、それでもどうやって生きていくのか。
正直、傷を受けずに生きていく人間などいないと思うんですね。
蒼さんが植物に惜しみない愛情を注いでいらっしゃることを見ると、
何かご自分を支えるものがおありになったのではと
お察しするのですが。


2007.10.01(Mon)00:17 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
「はたらくネコ。」の同居人さま
私もぶんちゃんを育てていて、中学時代に一回、高校時代に三回、
「嘘だろ」と思ったことがあります。
今になって思うことは、中学時代のときのことは、
自分の親としての対処方法に間違いがあったかもしれないと思います。
ただ、間違ったことを許さないというだけのことだったかもと。
また知らなかったわけではない、どう対処していいかわからないから、
黙っていたのだということもありました。
どうすべきかと思案している間に、時が流れていって、
結局何も言わずにいたこともありました。

今感じていることは、親として、ではなく、
隣人としてなら、どの問題も対処できたかもしれないと思います。

大切なことは、心の闇を作っている傷をとりのぞいてあげること、
なんですけどね。


2007.10.01(Mon)00:22 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
みいさま
その通りです。

親がどうして夜遅く、子供を連れてスーパーにいるのか。
親がどうして酔っ払いのいる繁華街に子供を連れていくのか。
世話してくれる人がいなければ、行かないだろう。
どうして連れてまで行こうとするのか。
これは理解できません。

空気が悪い。騒がしい。何よりも夜は寝て、
成長ホルモンを出さないといけないのに、
どうしてなんだと。

一緒にいる時間は本当は短いんですけどね。
たった十五年ですよ。
犬猫さんの寿命とそんなにかわらにですね。

2007.10.01(Mon)00:26 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
お久しぶりです
ご無沙汰しています。最近バタバタしてしまい、自分のブログも更新できずにいます。 が、お狂さんのブログは毎日拝読し、私にできることはきっちりがっちり(!)参加させていただいています。

心の闇、そして躾の話、本当に難しい問題だと思います。
特に躾については、やっぱり電車の中でも親子の様子を見ていると、ああ、この親だから子どもはこうなるんだなというのが大体分かります。
今の家に越してまだ1年足らずですが、路線が変わり電車に乗ってビックリしたのが、 今利用している電車のマナー。最悪です!
子どもというより、私の親世代の大人たちのマナーの悪いこと。地域性もあるのかもしれませんが、それにしても酷い!そんなのを見ていると、躾どころじゃないなあ・・・とずっと思ってて。何だか日本人ってどんどんダメになっていくんじゃないのかなあ、と。
そうなると、動物愛護でも、きっちり法律を作って、こんなことをしたら必ずこんな罰を受ける!とはっきりさせたほうがずっと手っ取り早いなんて思ってしまう。

バルセロナでの闘牛なくなってしまうのですね。驚きました。
以前テレビで、先祖代々闘牛士の方がいて、誇り高く話をしているのをとても複雑な気分で見てました。
少しずつ闘牛がなくなっていくのでしょうか。
バルセロナで闘牛がなくなるというのはすごく大きな進歩だと思うのですが。
これも一人の方の活動から始まったのですね。


2007.10.01(Mon)00:48 | 月子 #.7qyC5XY | URL [ 編集 ]
月子さま
あ、月子さんもいろいろとお忙しそうですね。
いっぱい地域猫活動の猫さんをかかえていらっしゃいますからね。

そうですか、確かに、マナーが悪いというのは困りますよね。
人間、悪い方向に流れていくことは本当にたやすいですね。
時間をかけてしつけしても、悪い影響を受ければすぐ、
というお話も聞きますしね。
とにかく大人のマナーが悪いのでは、お話になりません。
日本にアメリカ文化が入ってきたことから、
日本の美徳は危機的状態となっております。

格好いいことがどういうことなのか本当にわかっていない。
あこがれるものが違うって。
と私はいつも思うのですが。

そうなんです、闘牛についてはまた記事にしますが、
一人から始まった。
これが大切なことです。
最初の一人があきらめていたらと思うと、
そうです。一人から、ですね。

2007.10.01(Mon)01:04 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
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お狂

Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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