動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

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 今日も今日とて、お狂です。

 いや~、久しぶりにお勉強しました。一週間、さぼっておりました。痛みのためですね。ダイナ君にしつこく言われて、ダイナ君が勉強しているテーブルについたはいいですが、腰が痛いわけですから、数分ごとに座りなおしをするんですね。テーブルっつても、ちゃぶ台ですよ。で、それを見てダイナ君が「忙しいね」と言っておりましたね。

 そのうちに、寝転がって、問題を読み始めたら、「そりゃ、ないんじゃないの」「だって、痛いんだもん」そのうちに、あまりの出気の悪さにぴしっと座ってしまいましたね。そして、現代国語の解説ですよ。なんで、こんなことせんといかんのだよ。だから、本を読めっていってるだろ。難しい本を読む習慣さえあれば、現代国語なんて勉強するのは漢字だけですむんだよ。

 それから、英語の長文ですわ。二人で、読んで訳しましたね。「ええと、○○って、何だったけな」「何だったけ。辞書でひいて」とからきしだらしないお狂であった。こんなので、大学に行くのかね。あ、私じゃないですよ、ダイナ君ね。

 臓器移植ですが、この脳死というのに、なんか懐疑的なんですよね。本当に、本当にもう意識は帰らないんでしょうねと何度も念を押したくなるんですね。と言いますのも、聖書の中には人が生き返ったという記述があるので、なんか、ちょっと本当に大丈夫なんでしょうね、と言いたいんですね。

 また、ダイナ君が移植をする必要があるといわれたとき、教授は私に言われましたね。「家族だから、何が何でも提供しないといけないという雰囲気は作りたくないんだ」移植について、調べると家族でもありますよ。

 奥様が腎臓をご主人のために提供すると。先生の前に来て、二人でお話を聞いて、後から先生にお電話がかかってくる。「私はいやだったけど、主人がこわくて提供すると言いました。何か検査で、どこかが悪くて、提供できないことにしてください」

 かと思うと、ダイナ君がお世話になっている内科の先生、この間の患者さん、お子さんに臓器を提供するということだったけど、おばさんまで来たんだ。初めてだったよ、そんなこと。おばさままで臓器を提供したいと言われたというんですね。

 ダイナ君に腎臓を提供するのに、なるべく多くのドナーが必要だといわれました。ぶんちゃんは私でもいいと言ってくれましたが、移植を二回する可能性があります。移植された腎臓がどのくらいもつか。二十年もたないかもしれないらしいです。そうしたら、おじいちゃんやおばあちゃんもドナーとして考えてと言われましたね。別の先生はそこまで考える必要はない。おとうさんから貰うのでそれでなんとかなるだろうと。

 すごくためらいましたけど、とりあえず私の母にも話をしました。母は、「ダイナ君が元気になるなら、あげますよ」と涙ながらに言ってくれましたね。その話をぶんちゃんにしたら、「おばあちゃんから腎臓とるなんて。それなら私からとったほうがいいわ」と言いました。

 ちょっと嬉しかったですね。これが、「私はいやよ」とか言われてみてください。納得はしても、なんかいやでしょうね。思わず、「ああ、そうですか。それならこちらもそのつもりでいます」とか言いたくなるかも。実の肉親だとしてもです。

 聖書の中で、「人が友のためにいのちを捨てること。これに勝る愛はない」とイエス様がいわれました。別に友達のために命を捨てろという意味ではないですよ。でも、臓器移植ときくと、なんかこれを思い出してしまいます。

 ダイナ君が「おかあさん、腎臓ちょうだい」と言ったなら、「いやぴょん」と言ってしまいそうな気が私にはありますが、私は感染をもっているため、臓器提供できません。感染を持っている臓器でも、それでもほしいという方がいらっしゃれば、あげられるそうです。でも、元気な臓器でないですから、不安があるでしょう。いつ癌になるだろうという不安です。

 臓器のために、海外に渡る人がいることを考えると、私が死んだら、使えるものは何でも持っていってくれていいです。それで、泣かなくてすむなら、そうです。病気のために泣く人が一人でもいなくなるなら。貰うことを考えた人間は、あげることを考える。それは自然かなと思います。そうでもないのに、あげることを考えられる方々はりっぱだと思います。

 いろんな人のために泣いてきました。ためにではないですね、勝手に泣いてきたのです。ですけど、「助からない」「治らない」そういって絶望する人の涙を見たなら、心が動かない方がおかしいのかもしれません。

 私は前述した奥様。ご主人のために臓器を提供したくないという方ですね、それはそれでいいと思うんですね。一緒にいて、感情が家族ではなく、他人より遠い憎しみを持つ人になってしまったのなら、提供などしたくないですよ。体にメスが入るなんていやですよ。愛憎ともいいますが、憎い相手のために提供する必要なんてありません。臓器をほしいという方々が、必ずしも提供させてくださいと申し出るに値しない場合だってあるでしょう。

 ですが、もし臓器をもらって第二の生を生きていくなら、どうか良いことをしていただきたいですよね。いただいた臓器に報いる生き方をしていただきたいです。「こんな人のために」と言われないような生き方をしてほしいなあと願います。

 「治りたい」と願う人がいる。「お役にたちたい」と思う人がいる。この数がせめて同じになりますように。
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2007.10.29(Mon)23:52 |  日記  | コメント : 8 | トラックバック : 0

自分の意志と家族の思いというのも難しいですよね。
脳死ですと言われても、見た目にはただ意識がないだけにも見えますし。
これを止めてくださいと言うのは、動物の安楽死を考えるのと似ている気がします。
安楽死は苦しんでいるだけなら・・・と思う部分もありますけどね。
勉強不足ですが、書類を書いて承諾するのでしょうから・・・。
私だったら書いている時に、きっと色々な想いが込み上げて来ると思います。
ただ、本人がドナー登録しているなら、私は大切な家族の一部が他の誰かの中で生きているなら、それでいいと思うかもしれません。
私はまだ登録はしてないですが(出来るのかな?)、気持としては私も使えるものなら使って欲しいです。
生きてる時は何も出来ないですからね。
それで喜んでくれる人がいるなら、灰になるだけより役にたちたい。
そう思います。

2007.10.30(Tue)00:45 | ナツママ #- | URL [ 編集 ]
立花隆の「脳死」(「脳死について」だったかな?)、を読んだことがあります。かなりのボリュームのある本でした。
読んだのはもうかれこれ20年近く前になるので、あれから色々と解明されたこともあると思うのですが、その中で今でも忘れられない記述が「本当に脳が死んでいるのか分からない」とあったのです。
脳死判定ってそう簡単なものではないのだと思いました。その判定も熟慮されたものであるとは思うのですが…
それだけ脳って分からない部分が多いのでしょう。でも、あれから20年経ってますからね。今どのくらいのことが分かってるのか。

私も自分が死んで燃やしてしまうものならば、役に立てるものがあるのなら使って欲しいと思います。

現代国語、まさに私もお狂さんと同じこと思っています。本を読まなすぎ!!本さえ読んでいれば現国でなんの苦労がいるんよ、姉その2!しかも読書をすれば何人もの人生を生きることだって出来るんだぞ!もう~~。ダイナ君と同級生の我が娘です。。。
しかもお狂さん生まれ年は私と同じですな。学年は私が1つ下だけど。



2007.10.30(Tue)07:39 | にゃん吉ママ #- | URL [ 編集 ]
提供する側、提供される側、自分が死んでから提供する人、生きている間に提供する人(腎臓なんかですね)、
立場によって感じることがかわってきますね。
ですが、これが社会通念として、一律という言い方は悪いですが、
相互理解として何かが確立していくには、
まだまだ情報が必要ですね。
どのくらいの数、それぞれの臓器提供が必要か。
提供された人の感想、提供する人の感想、
いいも悪いもすべて出てきて、共通理解が進む。
これが必要かなと思いますね。


2007.10.30(Tue)12:51 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
にゃん吉ママさま
上のコメント、ナツママ様あてを記入忘れております。
失礼しました。

私はクリスチャンなので、非常に感じているのは、
人はどこまで神の領域に入り込めるかですかね。
クローンの問題でかなり取りざたされましたけどね。
どこまでなら許されるのか。
しかしできることなら、人の欲望はどんどん先へと進んでしまうでしょうね。
そういう意味で、実は死についてはもっと明確に
意識しておく必要があるのではと思うんですね。
死をどこで受け入れるか。
その時でないとわかりませんが、自分ならどこなら受け入れようと思うのか。
一度考えておくというのはいかがなもんでしょうか?


2007.10.30(Tue)12:55 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
臓器提供した人としてもらった人、この秘密は守られるって聞きました。
私がもし死んだら やっぱり使えるものは使って欲しいかな?
家族にすればどこの誰にもらわれたのか わからないほうが幸せなのか
どうなのか・・・・ですが、それで喜んでもらえるならばもらって欲しいです。
なにが使えるかしら・・・(っ・ω・;A


2007.10.30(Tue)15:43 | とら。主 #- | URL [ 編集 ]
テレビで見たので真偽のほどは不明ですが
臓器移植をしてもらったレシピエントがドナーの特徴が不思議と現れるっていうのを見ました。もしそうだったら、「本当はあげたくない」って思うドナーからもらったら、お薬飲んでも不適応おこしそうです。ダイナ君はもし周りの温かい方から移植を受けたら、一層愛情深い青年になりそうです。

2007.10.30(Tue)21:18 | モモマルル #- | URL [ 編集 ]
とら。主さま
このあたりは法律できちんと整備されているんでしょうね。
提供した人間が後から、提供された人間に、
「あんたのいのちを救ったのは私の臓器だから、お金ちょうだい」と
言われないためでしょう。
なんか不安な気持ちもありますね。
時には、「この子のために私の臓器をあげたい」と思うこともありますよね。
そんなときでも、法律では他人からはもらえませんからね。
顔もみたくない肉親には提供できても、
いのちより大事に思う他人には提供できない。
なんか複雑な気持ちですね。

2007.10.30(Tue)22:00 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
モモマルルさま
私から臓器ももらった方、
「ふふふん」とか「どんなもんだい」とか言うようになるんでしょうかね。
それって見てみたいなあ。
(無理だろ)
私から臓器をもらった方、
動物愛護のために活動してくれるだろうか。
そしたら、いのちを受け継いだみたいで嬉しいなあ。
こういう不純な考えをもたないために、
提供者がわからないようにされているんでしょうかね。
ヒットラーの臓器とか、マルコムXの臓器とか、
提供されていたら、どうなっただろうか。
アインシュタインの臓器とか。
本題とは全く関係ないことを考えてしまいますね。

2007.10.30(Tue)22:03 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
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Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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