動物と暮らす日々を、動物愛護の観点から綴っていきます。

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 今日も今日とて、お狂です。

 昨日の続きとなっております。初日でなんかえらい反応がありましたので、いや、まだ本題に行ってないんですがと内心思いつつも、皆様がたのご意見になんかもう続きは書かなくてもいいかな~、などと思ってしまいました。

 が、それではちょっと何ですので(何?)、二つの見方というのをみてみます。これはですね、そんな単純じゃないぜという方もいらっしゃると思います。が、おそらくこの二つに絞れるだろうと思いますので、そうではないよという方はどうぞ、コメント欄にお願いいたしますね。

 動物に対して「里親」という言葉をつかわないでほしいと思っていらっしゃる方。この方々は、本来この言葉は人に対して使われるものである。しかし、現在、この言葉は人というより動物、大多数は犬猫に対して使われている。であるから、「里親」「里子」関係をお持ちの方々、そのお仕事に携わっていらっしゃる方々は不快に思っていらっしゃる。「私はじゃあ、犬猫ですか?」「私はじゃあ、保健所でいのちをたたれる程度の価値しかないのですか?」つまり、人間と動物が言葉上では同じ扱いを受けているという思いだと思います。

 一方、「どうして犬猫に使ったら駄目なの」という方。この方々の主張はおそらく「犬猫だって、人と同じいのちじゃないですか。動物のいのちは人間より軽いんですか」ということでしょう。そういう思いが、現在の保健所での殺処分数に表れている。というところではないでしょうか。

 となると、論点はですね。この場合、「人は動物と同じ扱いを受けるのでいいのか?」「動物のいのちは人より軽いのか?」ということになります。言葉というのは、なんともはや、たいそうな問題を引き起こすものですね。言葉で傷つくこともありますから、言葉は慎重に扱わないといけない。そして、言葉によって傷つけられる方々は、立場的には弱者となるのかもしれませんね。

 本日の朝日新聞に「聾学校」という名前を残してくださいという記事が載っていました。「聴覚特別支援学校」に変更するというのです。静岡県教育委員会は「一般的に『聾』という字には差別的なニュアンスがあり、『聴覚障害』という言い換えが進んでいる」と説明しておられますが、当事者である聾学校に学んだ方が「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にはこもっている。『特別支援』という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけることとなる」と訴えていらっしゃるそうです。

 不思議な思いで読んでおりました。言葉というのはかように人それぞれ受け止め方が違うということです。こうなったら、「里親」という言葉の問題も含めて、「皆さん、ご自分で納得のいくように、それぞれお好きな言葉をお使いください」と言ってしまいたくなりますが、自分が使用するのではなく、一般的に採択された言葉によって傷つくというわけですから、そういう解決方法ではいけないと。一番いいのはですね、これは新しい言葉を見つけてくるしかないと思います。どちらも主張する言葉を捨て、双方一つのテーブルについて新しい造語を作る。「里親」の場合なら、人の方と動物の方と、区別ができるように、別々の言葉をそれぞれ採択する。

 この記事を見ていて感じるのは、言葉には歴史があります。使ってきた方々、対象となってきた方々のこだわりが、言葉にはあります。部外者が出ていって、ああでもない、こうでもないということは実は非常に失礼なことでして、私は「里子」ではありませんし、現在、動物の新しい家族を自宅で積極的に行なっているわけではありません。しかし、動物愛護ブログを書いている者としては、どういう言葉を使うかは重要な問題となります。

 また、言葉が人を傷つける。それならば、その言葉によって傷ついている方がいらっしゃるなら、これは使うべきではないと思います。人にはそれぞれ台詞を言う立場というのがあります。里親の経験のない私が、「そんな言葉ごときで鬱々していてどうするのよ」などと言える立場にはありません。これは経験のある人に許された言葉です。ですから、私の立場でできることは、言葉によって傷ついていらっしゃる方がいるなら、傷つかないように配慮する。それしかできませんね。「どうですか、人間のなどと限定しなくていいように、人の場合も里親という言葉を捨てて、新しい言葉を採択しませんか」と言うことは、まあ、言うだけならいいでしょうが、この言葉について良いイメージをお持ちの方、誇りを持っていらっしゃる方々がいらっしゃったら、反発を受けますよね。

 というわけで、当面は昨日のコメント欄に皆様、お書きになっていらっしゃるように、共通の言葉を共通認識のもとに使用できる言葉を模索しつつ、それぞれの自己責任に追いて、お使いになる言葉を採択されるという方向が一番妥当でしょう。「動物には使わないでください」という訴えがあるけれども、「それでも里親という言葉を動物に使いたい」と思われる方は、それでそれでいいと思います。その方にはその方の主張があると思うんですね。

 それでですね。避けて通りたいですけど、避けて通るわけにはいかないので、非常に苦しいながら、最初の問題に帰ります。「人のいのちと動物のいのち」についてですね。

 どちらが大切ですか?

 そう問われたならば、私は「どちらも大切です」と答えます。ご贔屓様、皆様ご存知だと思います。私の主張は「すべてのいのちの上に平安があるように」です。人にも動物にも、植物にもです。それは神様が人間に管理者として地球をきちんと良い状態にしておくことをまかしてくださったので、その責任においてやっていくことだと思います。魚のすむ水が汚くていいわけがない。植物をばっさばっさ切っていっていいわけがない。植物や虫に平安を感じる器官があるのかといわれますと、ないかもしれない。

 この問題を扱っているブログのコメン欄、ブログ記事に書いてあったことの一つに、「犬や猫を平気で捨てる。いのちをそうやって物のように扱う風潮に問題がある」それに怒りを感じていらっしゃる方もおられました。しかし、おそらくですね、保健所に持ち込まれる犬猫がゼロになったとしても、首輪をつけられたり、マイクロチップを入れられる状態を見たときに、やはり同じように、「あの犬猫と私(里子さんですね)は同じなのか」と思われると思います。殺処分がゼロになったとしても、それでも様々な形で動物の預かり先をさがすことは多くあるでしょう。先日お知らせした高齢者問題などもありますからね。そんなときに今のままだと「里親募集」という言葉を目にするでしょう。言葉はやはり動物側は違う言葉を模索したほうがよいかなと思いますね。

 いのちはどのいのちも大切だというお話でした。しかしですね、人間というこの愚かな知性のある動物。これはやはり管理者でなければならないんですね。なぜなら、人間は動物を助けることができる。しかし、動物は人間を助けられない。ここでいう「助け」というのはメンタルな問題ではないですよ。癒しを与えられて精神的に助けられるということではありません。社会的にということです。人間は法律を作って、動物の虐待を阻止することができますが、動物には法律を作ることはできません。つまり知性がある人間には管理者としての責任があるので、すべてのいのちに平安が与えられるような状態を作らなければならない。残念なことに、すべてのいのちにとって、不安だらけの世の中にしてしまったのは、人間が管理者としての責務を果たしてこなかったせいで、これからはきちんと果たしていかねばならない。

 全くもって、私が導き出す答えは大人の愚答でありましょう。もし、里子さんが私に、
「僕のいのちは犬猫と同じなの?」と尋ねたなら、

「そうだねえ。いのちはねえ、どの生き物にとっも大切だよね。人のいのちも動物のいのちも同じように大切にしてあげないといけないよね。だけど、君は人間なので、動物さんたちが幸せに暮らす世の中を作ることのできる力を持っているよ。動物さんにはその力はないね。動物さんたちは君より弱い立場だからこそ、動物を大切にしてあげましょうって、人間が声を大きくして言わないといけないわけだよね。君は動物さんたちより強いからね、動物さんたちが幸せに暮らせるようにしてあげてよね」

 うまくごまかしてしまいましたね。この子は、動物に使われている言葉が、自分を指す言葉と同じなので、自分と動物は同じ立場なのかと尋ねているわけです。最初にやはり、「そうではないけれどもね」と言ってあげるべきでしょう。「君が今の家族のもとにやってきた経緯と、動物さんたちが家族を探している経緯とは別だけれどもね」という必要があるのかもしれません。既に言葉によって傷ついているのですから。

 そして、人間を育てるのと動物を育てるのとはわけが違うと思います。いのちはどちらも大切ですが、人間を育てる方が厳しいに違いないですよね。その大変さを思ったときに、「動物と一緒にしてくれるな」という思いが湧くのは当然かなと思いますね。ポスター一枚貼って、募集できるものじゃないんだよと。人間も動物も新しい家族となって、生きていく。その形態だけ見たら同じですが、人を育てる里親様の労力は動物の場合とは比べ物にならないでしょう。

 正論は正論で必要ですが、それをいつもふりかざしていていいのか。

 人間だけしかこの世に生きているわけではない。奢っていきていっていいわけではないでしょう。しかし、動物を大切にするあまり、人間の心の傷に無関心でいていいのかというと、それでいいわけではない。

 いつも思います。動物愛護という問題と取り組むときには、動物にだけ目を向けていたのではいけないのだと。動物を嫌いな人にも「動物は嫌い。でも虐待されていいわけがない」そう思っていただけるような活動をしていかなければならないと。人に配慮する。動物嫌いを増やさないために。人間だけが生きているのではないことを、知っていただくために。
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2008.03.10(Mon)02:47 |  日記  | コメント : 18 | トラックバック : 0

この問題で、いろいろな事を知りました。
こちらでも、私のブログコメントでもいろんな意見をいただいたし、
人間の里親の会の方のサイトでのコメントでも
いろいろな意見がありました。
それを拝見し、勉強になった事で貴重な体験が出来たと感じています。
こんな事がなければ出会えなかったのですから。
人間  生まれてきて、それぞれに役割があるのだ、そんな風に思いました。


2008.03.11(Tue)07:40 | とら。主 #- | URL [ 編集 ]
会の方針は?
うちのいるまねこの会でも市内の里親会の方に止めろと言われた。会議しましたよ。傷ついている人には特別な理由があるが、使う団体にも過去の積み上げが残っている。もうブログでずっと書いてきたから、印刷してきたからだ。聾という言葉に差別と誇りが同居するように、言葉は生きてるから意味は変幻自在である。それで使い続けることにしました。猫にご飯を、おトイレ、お散歩、の動詞系も、エサ、便、運動、と置き換えなければ食事している人間が名誉を傷つけられるのか、という屁理屈ですけどね。

2008.03.11(Tue)08:43 | みゆき楽団みゆき #ulujXjxo | URL [ 編集 ]
とら。主さま
こういう問題は、いつも思うのですが、
自分のスタンスというのを必ずきちっととっておかないといけないと思うんですね。
どういう理由で、どういう言葉を採択するかということですが。
それさえ説明できれば、反対の立場をとったとしても、
それでいいと思うんです。
私はいつも優先するのは、一人でも傷ついた方がいらっしゃったら、
傷を癒してさしあげたい。
原因が自分であるなら、謝ってしかるべきだろうとも思います。
もちろん、いいがかりのこともあるかもしれません。
そう思うなら、その誤解はとかねばならないと思うんですね。
勝手にあなたが傷ついたのでしょということもできます。
しかし、自分のことを考えたなら、傷を癒すのは簡単ではないですからね。
なるべく人を傷つけたくはないですね。
もちろん、人間生きていけば、人を傷つけずにはすみませんよ。
しかし、少なくとも、ブログ上、動物愛護の言葉をタイトルに冠している以上は、
動物愛護に携わっている人は傲慢だとか、動物のことだけ考えていて、人のことは考えないという印象は持っていただきたくない。
動物愛護活動が進展していくには、それが大切だと思っておりますので。

2008.03.11(Tue)09:52 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
みゆきさま
なるほど、抗議があったのですか。
それでは私などより、もっと会の皆様がたはお考えになったでしょう。
それで、そういう言葉を選ばれたのなら、それはそれでいいと思うんですね。
自分が選んだ根拠というのをはっきり説明できれば、
相容れない立場に身をおくこともあるでしょうが、
それでいいと思うんですね。
おっしゃるように、言葉に対するイメージというのは、
人によって違いますので、いろいろと物議はかもしだしてきますよ。
それが自然だと思います。


2008.03.11(Tue)09:56 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
はじめまして
お狂さま
いつもブログを拝見させていただいております。
読み逃げばかりだったのですが、今回の件で少しだけコメントをさせてくださいませ。
私は、その里子に該当するんですが、犬猫の里親、と言う言葉に傷付いたりも不愉快に思ったりも別にしていないんですね。
確かに初めて目にした時は、お狂さまと同じに「へぇ」とは思いましたが、そういう使い方もあるんだ、と言う程度の認識でした。
ですので、運動をされている方は私たちの事を慮ってくださっているのだと思いますし、実際にそういう言葉で傷つく人もいるのかもしれませんが、ぶっちゃけて言うと、「受け取る本人の問題」だと思うんです。
確かに言葉って難しくて、思わぬ一言に傷ついたり凹んだりもしますし、実際に悪意を持って使われる言葉には人を殺す力すらあります。
でも、上手く言えないんですが、どんな言葉もその人の心の持ち方で方向性が変わるのではないかなあと。
私自身はあまり気の毒だとか言われるほうが、期を使われすぎているみたいで気恥ずかしい感じもするんです。
私個人としての意見でしかありませんが…


2008.03.11(Tue)12:40 | ショッピー #tHX44QXM | URL [ 編集 ]
ショッピーさま
どうも、はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。
私は、ショッピーさんのような感覚の方がいらっしゃって当然だと思いますし、
ここにそう書いていただいて嬉しく思います。
傷つく方ばかりではないことが実際にわかって本当にほっとしています。
ですが、これがおっしゃるように運動をされていらっしゃる方々がおられる。
ということは、一人、二人の方が傷つかれたのではないでしょう。
傷つかれた方は「ちょっといやだな」ではなかったのでしょう。
太っていらっしゃる方に「ぶた」などと揶揄することは、
小学生くらいなら、場合によっては大人でもありますけれどもね。
言われて、「もう一回言ってごらん」と言って、言った子を追い掛け回している子もいれば、
それが傷となる子もいるでしょう。
とら。主さんもご自分のことをカミングアウトされておりましたが、
そういう方々は、言葉のマイナス面を跳ね除けるだけのおおらかさや強さがあったのだと思います。
私はショッピーさんやとら。主さんのような方の感覚、
「いいじゃん、頼もしいじゃん」とか思ったりします。
ですが、やはりネットといいますかね、公の場で「動物愛護」を考えるときに、
私はご理解いただくために、細心を払いたいというのでしょうか。
また、人としても、一人傷ついた方がいたなら、やはりその方の傷に目を留めておきたいというのでしょうかねえ。
中庸ではなく、はっきり弱者の側に立たねばと思っているわけなんですね。
なるべくなんですが、まあこれが私のポリシーかなと。
当事者の方が「受け取る本人の問題です」とおっしゃってくださって、
なんかほっとしました。
コメントを残してくださって本当にありがとうございます。

2008.03.11(Tue)13:41 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
昨日・今日と・・・色々考えさせられました。
里親の会でも色々な意見がありますし、↑のショッピーさんのような意見もとっても参考になります。
ただ、動物愛護に関わる人は人間の事は考えてない的なことを思われないように言動を考えないと・・・と思いました。
人として、自分や回りだけが幸せではいいとは思ってないですから。


2008.03.11(Tue)17:37 | ナツママ #- | URL [ 編集 ]
私も、初めまして、です。
お狂様

いつも拝見させて頂いております。
私も初コメです。

私は「里子」でも「里親」でもありませんが、養女であり私生児です。
そして、普通の方が考えるのとは(多分・・・)違い、私生児あるいは父親がいないと言うことに関しては、非常にプラスの感覚を持っております。きっと、その頃に私の周りにいらした全ての方が、慈しんで気遣いをして下さったのだと思います。そうでないなら、厭な思い出のひとつくらいはあるでしょうから。
養女の時代のことは、未だに体が震えるほどの怒りと堪えてももれてくる嗚咽なしには話せません。精神的な、言葉による暴力と、弱い立場の者は一段も二段も人間の格が下と言う(無意識だとは思いますが)思い込みから、裏側の汚い本性も沢山見せられました。そのお陰で、今でも人間が嫌いです。
つまり、私の中にある記憶が、そう感じさせるのですから、「里親」・「里子」と一口に言っても、100組いらしたら、300通りの感じ方がおありになるでしょう。
人間は、言葉を持ち、想像力があります。うちの9ニャンに、君たちは橋の下から拾ってきたよ、と言ったところで傷つくことはないでしょうが、冗談だと解るようにしても、人間の子に言えば、悩む子は出て来ます。小学校の頃に、本気モードで悩んでいた女の子がいましたよ。どうみても、親子でしかない程、父親似にも拘らず。
言う方は、解らないのです。言われた方が傷つく度合いを・・・
解ろうと努力していても、ざっくりいっちゃってることが多々あります。やっと、私の心の中の境界線の内側に、入れてもいいなと思えた(9ニャンの)とうちゃんにさえ、ざっくり!です。

これは心からのお願いですが、”どうしてもゆずれない!!!”と言う理由でないならば、無理に「里親」は使わないでおいて欲しいのです。心に傷付く子が、例え一人でもいる以上は・・・
「里親」探しのサイトに載っているのですから、その子はまだ、優しい里親さんと出会っていないのかもしれません。出来ることなら、ほんの少しの翳りでも、持ちながら出会いの場に臨んで欲しくありません。

ニャンコ・ワンコなら、これからの生涯を共にする「本親」さんでも、生涯愛し愛されるのだから「愛親」さんでも、名称は全然構わないでしょう?
肝心なのは、精一杯の愛情をきちんと受け止めて、それ以上に愛してくれるおとうさん・おかあさんに出逢うことなのですから・・・

長々とごめんなさい。



2008.03.11(Tue)17:42 | chako #- | URL [ 編集 ]
ナツママさま
その通りだと思います。
いつも私が感じていることですが、私個人のことを
「お狂は傲慢だ」とか「お狂は思いあがってる」とかおっしゃるのはそれは全然かまわないんです。
ですが、動物愛護に携わっていらっしゃる方々全般のことを「動物愛護関係者は傲慢だ」と動物愛護関係者は思い上がっている」と思われることはこれは何としても避けたいんですね。
ですから、私のことを個人的に昔からよくご存知の方は
「お狂ってこんな人だった?」と思っているに違いないんです。
現在の私は動物愛護活動をしていないにも関わらず、動物愛護の看板をブログタイトルに背負っているため、
動物愛護のために動いていると思われて当然だと思うんです。
ですから、自分のために活動が停滞したりすることだけは、今までそれこそ我慢に我慢を重ねて努力してこられた先輩諸氏のために、
やってはならないとことだと思っているんですね。
別に顔を知ってるわけでも、お世話になった先輩でもないですよ。
ですが、これまでの方々の動物への思いを想像するなら、決して泥を塗ってはならないと思っております。
個人的にはいろいろありますよ。
どうしようもない人間ですから。
悪いこともしてますよ。
ですが、動物愛護関係においては、いつも前向きに考えていきたいと思っております。

2008.03.11(Tue)19:51 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
chakoさま
わかりました。
私は今後「里親」という言葉は使いません。
間違って書いてたりすることがあるかもしれませんので、
その時はご指摘ください、皆さん。
今回、「傷ついてないよ」という方ショッピーさんのご意見と「傷ついてます」という方chakoさんのご意見がここに上がってよかったと思います。
いろいろな方がいらっしゃるということが本当にわかりました。
人はいろんな方がいらっしゃると思いますが、
たとえば「あなた、色が黒いね」と言われたとしましょう。
最初から「それがどうしたのよ」という方もいらっしゃるでしょう。
最初から「どうしてそういうこと言われないといけないの」と傷つく方もいらっしゃるでしょう。
最初は傷ついたけど、時間がたつにつれて、「それが私だからいいじゃん」と思えるようになってきた方もいらっしゃるでしょう。
いろいろいらっしゃっるので自然ですが、どの立場に立って配慮するかは個人の選択ですので、
皆様がたはどうぞ、ご自分の信じるようになさってください。
しかし、chakoさんも大変なところをお通りになったのでしょう。
私はには想像すらできないと思います。
ですが、それをここにお書きくださってありがとうございます。
どうぞ、今後ともご意見などございましたら、コメント欄におよせください。

2008.03.11(Tue)20:03 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
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2008.03.11(Tue)22:46 |  # |  [ 編集 ]
ちょっと横になるかもしれませんが、企業のセクハラ指針を思い出しました。

セクハラのセーフかアウトかの基準っていうのは、あくまで受け手が不快に思うかどうかなんですよね。
同じ表現でも「セクハラ」と訴えられる部長と、「おちゃめ」と呼ばれる課長。

言葉自体の持つパワーも大切だけれど、それを生かすソフトの部分(前後の脈絡等)が、より重要にも思います。

2008.03.11(Tue)22:55 | がるまあ #- | URL [ 編集 ]
鍵コメさま
いえいえ、ありがとうございました。
後からメールさせていただきます。


2008.03.12(Wed)00:11 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
がるまあさま
過剰反応というのもありますけれどもね。
たとえば、私のブログに過激な運動をされる方が乗り込んできて、
「お狂、たいがいにせんと、許さんで」
みたいな感じで書き込みされたら、
(いわゆる反捕鯨団体みたいなやり口ですね)
私も頭で冷静に考えることができずに、
「ああ、そうですか。こうなったら、意地でも里親と使わせていただきます!」
と言ったかもしれません。
がるまあさん、おしゃるように、言葉を使うソフト、
その背景みたいなものから取り除いていかないと、
いたずらに言葉狩りで終わってしまうかもしれません。
もうちょっと深く、いろいろと情報がほしい気もしますね。
言葉は使わなくなってそれでいいですが、
根本的な問題はそれで解決できたかと確認したい気持ちもありますね。

2008.03.12(Wed)00:16 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
様々な方の意見が拝読できてよかったです。使うときはひとつひとつ
判断をして使ったり、他の言葉に言い換えたりしたいと思います。

2008.03.12(Wed)06:28 | モモマルル #- | URL [ 編集 ]
モモマルルさま
本当ですね。
今回、いろいろな方がコメントくださって非常に有意義でした。
いろいろなご意見もありますし、いろいろな採択があると思いますが、
それぞれの方の主張を尊重しつつ、
これからもいろいろな問題に取り組んでいきたいものです。
(と、なぜか達成感だけ残っているお狂であった)

2008.03.12(Wed)09:51 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
はじめまして。。
お狂さん、私のブログへお越しくださりありがとうございました。最近体調が思わしくなく、遅くなってしまってすみません。

私は以前里子に2度いきました。ブログに書いておりますが一度目は失敗に終わり、何度となく、自分はペットのようだなと思っていました。

同じ里子でも愛されて恵まれた子供も居ますが、恵まれない子供もおります。
それは今も変わってないでしょう。

よく、動物も人間も同じように大切な命だということを教えてあげれば問題はないのではということも聞きますが、それは条件がそろった場合に限られると私は思います。

私が以前、ペットのようだと思ったとき、それを周りの大人に言いませんでしたし、言ったところで、どうなるものではありませんから。

子供が学校でいじめに遭っていても、言う子もいますが、いわない子もいっぱいいます。
それと同じです。

今は子供がネットを簡単に見れる環境下にあります。
私のような状況下に置かれたとき、「里子・里親」と検索したときに出てくる記事を見ると、置かれた環境と相まってもっとショックではないでしょうか。

私はそう思って記事にあげました。

そういうことで傷つく人間がいるということを知ってほしいのと、人間にも里親、里子制度というのもがあるということを知ってほしいと思いました。

恵まれない子供たちを少しでもいい状況下にというのは、やはり一般家庭です。私は残念ながら失敗に終わりましたが、それでも養護施設よりは里親家庭が良いと思っています。

お狂さん、意見をということでしたので、お言葉に甘え、書かせていただきました。

このことを記事にしていただいて、感謝しております。
本当にありがとうございました。


2008.03.12(Wed)22:36 | 一姫 #vGRxkfNY | URL [ 編集 ]
一姫さま
とら。主さん経由でお邪魔しました。
ようこそお越しくださいました。
おつらい胸のうちをさらけ出してくださってありがとうございます。
一姫さんの経験というのは、私は想像することもできませんが、
しかし、今回、本当に知りませんでした。
人間の「里親制度」というのは、とっくになくなっているものと思っていたのです。
ご両親のいらっしゃらないお子さんがいないわけではないだろうに、
自分が知らないだけでそのようなことがあったということをないことにしていた。
実は、私の中ではこれが一番ショックでした。
「まだあったんだ」という思いと、
「関係者の方々には申し訳なかった」
これは言葉を使うということより、知らないままでいたということに対して、
切実に思ったのですが。
「知らないことは罪です」とは動物愛護でよく出てくる言葉ですが、
本当にそう思いました。
言葉については、記事にしておりますので、
ここではとくに追記はしませんが、
今は、一姫さんはじめ、多くの関係者の方々に無知で申し訳ありませんでしたと謝りたい気持ちでいっぱいです。

2008.03.13(Thu)02:42 | お狂 #- | URL [ 編集 ]
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プロフィール

お狂

Author:お狂
社会人から大学院生となった娘ぶんちゃん(猫担当)と大学を卒業した息子ダイナ君(爬虫類、特に亀と恐竜担当)の母親(犬担当)。
先天性代謝異常メチルマロン酸血症のダイナ君と過ごすうえでの出来事、社会に対して思うことなど、動物愛護とは関係ない日もしばしば。
画像提供:ぱたぱたアニメ館(http//www.pata2.jp/index.html)

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